サポータの存在意義

姫2の中体連が終わりました。


 


まだ姫2には来年があるので、今は泣きません。


 


去年の姫1の中体連は、泣きました。


 


実力が出せず、自滅に近い形で、


 


堂々と


 


「悔いなし」


 


とは言えない試合でしたから。


 


それを思えば、


 


今年は、姫2にとって最後の試合ではないにしろ、


 


勝負に負けて、内容では勝った。


 


と言う結果だったので、決して泣く必要はありません。


 


また、複雑な環境ではありますが、


 


姫2の実力以上のプレーに、


 


勝たせてあげたい。


 


との想いから、自然と応援も出来ました。


 


それらの教訓をもとに、


 


どんな状況であれ、応援するのがサポータだと思います。


 


応援しないで勝てば、サポータは本当に必要?


 


と言うことになり、


 


また応援しないで、負ければ。


 


肝心な時にサポータは何をしている?


 


と、対フロントへの抗議以前に、


 


サポータの存在意義が論じられます。


 


今は方法が浮かびませんが、


 


応援しない=フロントへの抗議


 


には繋がらないと思っています。


 


それを姫の中体連をとおし、感じました。


 


姫の中体連の応援=無償の愛


 


清水が本当に好きな人の応援は、これと同じではないでしょうか?


 


この考えた方では甘いのでしょうか?


 



 


本当に考えるべきは、清水の勝利ではないでしょうか?


 



 



 




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