みんな、最初はピッチャーだった

ピッチャーを嫌がる子供が急増(日刊ゲンダイ)

 松坂大輔、ダルビッシュ有、斎藤佑樹……。いま野球界で目覚ましい活躍をしているのはピッチャーばかり。だが、少年野球ではちょっとした異変が起こっているという。子供がピッチャーをやりたがらないというのだ。

 リトルリーグで長く監督を務める、ある指導者が嘆く。

「11歳にしては体格も良くて球威もあるのでエースにと考えていた子が、『ピッチャーはやりたくない』と言い出した。どうやら親からやるなと言われたみたい」

 スポーツジャーナリストで、少年スポーツをテーマにした著書「少年スポーツ ダメな指導者 バカな親」もある永井洋一さんはこう分析する。

「失投で負けて周りから責められたくないという自己防衛の手段です。サッカーなら、絶対シュートする場面なのに失敗を恐れてパスするのと同じこと。親も自分の子供にプレッシャーがかかるのを嫌がって、失敗の少ない無難なポジションを選ぶ。これは勝利至上主義が生んだ悪しき現象でもあります」

 前出の指導者も、

「日米とも天王山の試合だから盛り上がったけど、普段は親も子も野球中継を見ない。大舞台で投げるエースの勇姿なんて興味がないんですよ」

こんな記事が・・・

野球チームをつくる時、まず最初にピッチャーを決める。いくらキャッチャーが大事だと言っても、ピッチャーあってのものである。
ピッチャーは誰にでも出来るものではない。監督なり仲間なりが、『オマエならやれる』と太鼓判を捺さない限り、マウンドにはあがれないのだ。

僕の最初の試合のポジションはピッチャーだった。ただただ何も考えず、ミット目がけて投げた。球は速かったから三振は物凄い取った。キャッチャーが捕れなくて、振り逃げが何個もあったし、何よりたくさんのフォアボールを出した。周りの守備も下手でエラーの連続。ピッチャーゴロを捕るか三振を捕らないかぎり、守備が終わらなかった。
試合は5回コールド負けの10対0。次の試合からはキャッチャーになった。

あの頃からかな、ピッチャーに憧れるのは。今でも肩さえ痛くなければ投げたい。それぐらいマウンドには魔力がある。

みんな、最初はピッチャーだった。それが、年齢を重ねていくうちに、キャッチャー、サード、ショート、センターとポジションが変わっていく。つまり最後までピッチャーでいられることは特別なのだ。

誰かの期待を背負い、先頭をきって立ち向かう。その立場になれることは幸せで、誰にでもできるものではない。経験することで得るものがある反面、逆も言える。だから僕は、ピッチャーに敬意を払えないものにこう言う。

「一度でもいいからマウンドにあがれ」




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