
応援合戦の限界を感じた
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けんちゃん
2008年05月18日 03:43 visibility33
東京ドームの三塁側指定席B
レフトポールからそんなに離れてない辺りで観戦した。カープファンが多くて、カープ攻撃時には頭が痛くなりそうなくらいにメガホンの音が鳴り響いた。『巨人の攻撃を(比較的)静かに観れる』と自分に納得させた。
延長の末、巨人は敗戦した。
九回表、クローザーのクルーンが追い付かれた。その裏、ラミレスの併殺でチャンスを潰した。
十回表、門倉が栗原にライナーでライトに2ランを打たれた。万事休す。
これは試合なんで、こういうこともあるさと理解はする。ただね、どうも納得できないことがある。そう、応援ってなんのためにあるの?ピンチでピッチャーが孤独になってる時、どうして静まり返っちゃうんだい。相手の応援時だからって。ふざけんなよ。オレはなんのためにあんなやかましい中いるんだ。野球が好きだ、巨人が好きだっていう気持ちから来るもんだからってんで許してんじゃないか。やっぱさ、応援っていう儀式のための応援になっちゃまずいんじゃないのか。オレには日頃の憂さ晴らしにメガホンを叩いてるようにしか見えねぇよ。
野球ってメリハリのスポーツなんだよ。投手が振りかぶって捕手に向かって投げる。ゴルフのドライバー、テニスのサーブを打つ時の固唾を飲むような静けさ。あれと同類なんじゃないのかな。リズムもなく歌を歌い続ける。それは野球のリズムじゃないよ。
声とは自然と出るもの。無理矢理ださんでもいいんじゃないのかな、後ろのカープファン。
とにかく巨人が守っている時、本拠地の有利さを感じなかった。鳴りもの応援を廃止し、応援団も設けない。球場が上手に雰囲気づくりをしていくのが1番ではないだろうか。
- 事務局に通報しました。
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