
「おかんのために」一心で
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ペル
2008年08月26日 11:15 visibility1507
スポットライトがあたる球場。
その裏には数々の人間模様がある。
だから高校野球はおもしろい。
「おかんのために」一心で2008年07月24日 マイタウン青森より<!-- ここから記事本文エリア -->
土下座した母親の姿を見たのは、初めてだった。
昨年3月、光星学院の捕手東川彰吾くん(3年)は母親真由美さんと一緒に、金沢成奉監督(41)の前にいた。「野球を辞める」。東川くんはそう決意していた。
野球部の寮の一室。東川くんが「辞めます」と切り出した。気がつくと、横に座っている真由美さんが泣いていた。そして、額を床につけて言った。
「監督、私は野球を知りません。でも、もしもこの子に、まだ野球ができる力があるなら、もう少し野球部にいさせてやってください」
東川くんは、3人きょうだいの末っ子。真由美さんは和歌山市内で、女手ひとつで3人を育ててきた。
東川くんは小2の時、兄と一緒に野球を始めた。中学校では地元の硬式野球チームに入った。「強いところで野球がしたい」と、光星学院への進学を希望した。
中3の11月、真由美さんと2人で初めて光星学院を訪れた。電車と新幹線を乗り継いで、8時間かけて八戸にたどり着いた。真由美さんは遠さに驚き、寂しさを感じた。
でも、止めようとは思わなかった。「彰吾が頑張っているのを見ると私の励みにもなる。本人が行きたいなら、行かせよう」
入学後、1週間もしないうちに、東川くんから真由美さんに電話があった。
「うまい子ばっかりや。ついていけへんかもしれへん」
昔から泣き虫だった末っ子の顔が、電話の向こうに思い浮かんだ。親元を離れての寮生活。大変さは目に浮かんだ。でも、厳しく言った。
「何言ってんの。まだ始まったばかりやないの。努力もしてないうちに、そんなことで電話してこんといて」
涙が出そうになる自分には、こう言い聞かせた。「かわいそう、と言っていたら寮生活はできない。私はあの子を監督に任せたんやから」
その後、東川くんは泣き言を言ってくることもなくなった。寮生活を楽しんでいる様子も伝わってきた。
だが、2年に進学する直前「野球、辞める。学校も辞めて働く」と言い出した。
授業後、毎日午後8時まで練習が続く野球一色の高校生活に、東川くんは疑問を感じた。「自由に遊びたい」。練習にも身が入らない。「友人や親に会って考えろ」という監督の勧めで実家に帰った。
和歌山では、中学時代の友人や先生が説得したが、気持ちは変わらなかった。「とりあえず、一度は学校に戻らないといかん」。真由美さんはこの末っ子に言った。「逃亡防止のため」と、一緒に八戸へ向かった。
そして、東川くんは母の土下座を見た。この時、「辞めたい」という気持ちは吹き飛んだ。「親にこんなことさせたら、あかん。野球、続けていこう」
その日の夜、八戸市内の焼き肉店で、息子は母にこう伝えた。「恥ずかしくて言いにくいけど、おかんを絶対甲子園に連れていくからな」
23日の決勝。その約束はかなわなかった。
試合の後、東川くんは帽子を取り、帽子のつばをじっと見て何度も泣いた。そこにはこう書いてあった。
〈おかんのために 母孝行〉
真由美さんは息子を見つめた。「彰吾は母孝行の優しい子。よくここまでがんばってくれたと思います」。そしてこう締めくくった。「おつかれさん」
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- 事務局に通報しました。
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