前田智(2)

  • J
    2007年06月19日 01:27 visibility66

僕が前田智徳選手を初めて知ったのは、意外と遅い時期でした。

確か、90年代の初め頃だったと思いますが、山本浩二監督(第1次政権)の元、オープン戦で衝撃的なデビューを飾り、そのままあれよあれよと言う間に開幕スタメンの座を勝ち取り、いきなり開幕戦で先頭打者ホームランをかっ飛ばした”事件”でした。
ちょうど、山本浩二、衣笠祥雄、小早川毅彦、高橋慶彦、正田耕三らの主力がごっそり抜け、新しいカープの星が期待されていた時期だったかと思います。

*高校野球の名門、熊本工業高校からドラフト4位で入団したことや、同じ九州の雄、西日本短大付属高校から阪神タイガースにドラフト5位で入団した新庄剛志選手と同期だったこと等は、かなり後になって知りました。

前田選手の野球に、というか自己の野球観に対する拘りについては、僕が今さら語るまでもありませんが、ちょっと狂気じみた気がする程厳しいものがあります。
ホームランを打っても首を傾げてダイヤモンドを周ったり、相手投手のあまりに甘い球は「プロの(投げる)球じゃない」と言って、敢えて平然と見逃したり、記者が冗談だか本気だが知りませんが「今までに納得のいく打球を打ったことはありますか?」と聞くと「ファールなら(あります)」と答えたり・・、僕が知っているだけでも枚挙に暇がありません。
 勿論、”前田智徳像”を描いて記者が着色した話や、前田選手本人が意識してリップサービスで語った話もあるでしょうが、広島カープファンには忘れることができない、あの伝説の試合を見た人には、前述の数々の逸話も、「さもありなん」と感じてしまうかも知れません。


いつの事だったかは、恥ずかしながら詳しくは憶えていませんが、試合会場は東京ドーム、広島カープの先発は当時200勝まであとわずかに迫っていた(わずかに迫っていたものの、体力面から考えると、彼に残されたチャンスはそう多くは無いことはカープファンには自明の事でした)北別府学投手でした。
 試合は投手戦、同点で迎えた中盤の読売ジャイアンツの攻撃。バッターは当時ショートのレギュラーだった、2番川相昌弘選手。
2死走者無しで川相選手の打った打球は、センターへの鋭いライナー。
当時センターを守っていた前田選手は、好投を続ける北別府投手を楽にしようと思ったのでしょう、猛然と突っ込み、ダイレクトキャッチを試みました。
・・が、非情にも打球は前田選手の差し出したグラブの下をすり抜け、センターのフェンスまで転々と転がってしまいます。それを見た打者の川相選手は、長躯ホームイン、勝ち越しの1点となりました。

 TV中継のカメラは、守備位置で膝に両手を突いてうなだれる前田選手を映し出します。

やがて回は進み、試合終盤にハイライトが訪れます。
前田選手は起死回生の決勝ホームランをライトスタンドに叩き込んだのです!

 再びTV中継のカメラは、ダイヤモンドを周り、ベンチに帰ってきた前田選手の表情を捉えます。

 と・・・、前田選手が、泣いてました。

結局、このホームランが決勝打となり、広島カープが勝利しましたが、先発の北別府投手には「勝ち」は付きませんでした。
そして試合後、前田選手のヒーローインタビューは行われませんでした。

後で知ったことですが、前田選手はテレビ放送局からの”お立ち台”要請を断り、「あの試合は(前田のせいで)負けでした。(決勝ホームランを打ったからと言って)エラーが帳消しになるわけではない。最低あれ(決勝ホームランのこと)くらいしないと(釣り合いが取れない)。」とコメントを出したようです。

・・・僕も泣きました。

今思い出すと、プロスポーツ選手の生き様、人生を賭けた一瞬の鬼気迫るプレー、言葉を失う程の情熱に涙を流すようになってしまったのも、この出来事がきっかけだったように思います。

金を取れる選手だ、と思います。

だから観たいのです。
前田選手が再び東京ドームでホームランを叩きこむ場面を。

7月と9月、待ちに待った東京ドームでの試合が行われます。
熱い思いを胸にしまい、応援に駆け付けようと思います。

(つづく)

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