見世物じゃねぇけど
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fuminin
2006年08月21日 02:34 visibility56
母の還暦祝いで実家に帰省したはいいけどそれが終わったらすることがないので,夏の甲子園決勝戦を家族揃ってテレビ観戦.
僕は高校野球は基本的に見ない主義です.それは,「見世物」であるプロ野球と違い,高校野球はアマチュアなのだから,選手は自己満足の最大化を最優先事 項にして試合を行うべきだと思うからです.つまり,どんなにつまらない内容でもどんなに汚い戦法でも,そして観客が応援しようがするまいが,試合を行う当 事者と以外の何者にも影響されずに試合を行うべきだと思うのです.そういう自分以外のことを考えるのはプロに入ってからでよろしい.
だから,テレビ観戦して「なんであそこで盗塁させるんだ」とか「バントくらい決めろ」とか「敬遠なんて高校生らしくない」とか「あそこでエラーがなけれ ばな」とか試合内容にケチつけるような見方には反対.さらに言うと,頑張る姿に感動するような見方も好きではない.それは野球でなくてもサッカーでもバス ケでもハンドボールでも,もっと言えば演劇部でも物理部でも将棋部でも園芸部でも同じように頑張っているはずだから.
そう考えると,最近の選手宣誓に違和感を感じる.「スポーツマンシップに則り,正々堂々と戦うことを誓います」という文句が定番だったはずなのに,いつの間にか「・・・で見る人に感動を与える」という観客を意識した文句がここ数年続いている気がする.
話がそれたけど,とにかくヒマだから決勝戦を見たのです.ケチをつけないように.
試合全体はおいといて,駒大苫小牧の岡川君に自分と通じるものを感じた.何回だったか,レフトに途中出場した背番号7の岡川君.レギュラーの背番号を着 けながらスタメン落ちはさぞかし悔しかったろう.で,何回だったか直前の打順の田中君が敬遠されて同点の1死満塁で打順が回ってきた.この日まで甲子園で 8打数無安打.今まで結果を出せなかった中でのこの大チャンス,いろんな意味での一発逆転の場面に高ぶる気持ちで,それを逃すことへの怯えを消し去ろう と,担いだバットに異常に力が入っている.当然タイミングも狂う.投球と全然違うリズムで左足を踏み出しながら2球見送って1-1.3球目のスクイズでは 大きく外に流れるスライダーに体がついていかずに空振り.飛び出した3塁走者はタッチアウトで2死12塁.
違うだろ監督.目の前で敬遠されたノーヒットのベンチウォーマーには,名誉挽回に燃える過剰に入った気合をそのまま解放させる作戦をとるべきだろ.「と にかく目の前に来た球を思いっきり叩きつけて全力で1塁に走れ.」ってな.スクイズなんて考えることが増えて混乱するだけ.ところが2-1と追い込まれた 次の球を思い切り叩きつけるとゴロで三遊間を抜け,2死満塁に.スクイズ失敗の負い目もあるだろうけど,1塁を回った岡川君は笑顔で低くガッツポーズを とった.「よかったな,これで多分吹っ切れただろうな」と思った.同時に「もう一度彼に回せば打つぞ,もう一度回せ」とも思った.
すると延長のまた何回か,2死12塁(?)で田中君と言う場面があった.「ここで回せば岡川が打つ」と田中君が思ったかどうかは知らないが僕は思ってい た.しかし凡退で回らず.・・・ということで次の回に先頭打者として迎えた打席で,完全に吹っ切れた(であろう)岡川君は,先ほどとは見違えるように力が 程よく抜けた構えから,初球を思い切り振り抜いてきれいなセンター前(だったっけ?)ヒットを放った.みなさん御存知の通り,このあと決勝のホームを踏む ことはなかったけど,一人の少年の心の動きを垣間見れ,微笑ましい気分になった.
本当はこういう見方をしちゃいけないんだ.彼らは感動を与えるために試合をしているのではなくて,彼ら自身が感動するために試合をしてるんだから.ついでに言うと,高校球児は「たくさんの人に見てもらわないと感動できない」なんて贅沢言うな.
で,話が広がりすぎるからここでは敢えて言及しなかった駒苫と早実の両エースについてはこちら
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