ジーコ時代の日本代表を振り返る(その5・最終回)

まだ、書いている。

 

今まで散々悪態を付いたが、ジーコ時代の「どーしよーもない」日本代表を生んだ最大の元凶の一つは、「日本サッカー協会」 と 「無責任なマスコミ」 にあったことは間違いないだろう。

 

「ジーコ性善説」。 

 

何度この言葉が胸の中に去来したか。

TV、新聞、雑誌。「視聴率が取れればいい」、「売れればいい」、「売り上げが上がればいい」と考えていたのか、妄信的に「ジーコならとにかくやってくれる」と思っていたのか、それとも協会による取材締め出しが怖くて本当のことを書かなかったのか?

サッカーに限らず、この国の(大)マスコミのスポーツに対する見識の低さは今に始まったことではないが、それにしてもひどかった。ジーコのしたこと、言ったことについて一つ一つもっともらしい理由が後付された。

 

川淵何某・サッカー協会

2002年のジーコ就任時、「ジーコなら、やれる、やってくれる」、と考えていたのだろう。当時は日本全国皆同じ考えだった。「ジーコがやることなら」と。

しかしその後、運のみに支えられたとしか言いようのない、捻じ曲がった内容の薄い試合内容での快進撃が続いた。

2004年アジア杯。準々決勝のヨルダン戦。小生生まれて初めて、「日本代表が負けてもいい」と思った。 「これで負けたら、ジーコはクビだ」と。

 

やはり、あの時ジーコはクビを切られるべきだったのだ。

マスコミはしっかりと批評をし、協会は民主的に代表の試合を裁くべきだったのだ。そうすればもっと早い段階で代表は建て直せたのだ。

 

残念ながらジーコ後、オシムの治世になってもマスコミと川淵何某・協会の体質は変わっていない。このままだとまたいつか二代目ジーコが出現することになろう。非常に悲しい話である。 (終わり)

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