
ムラサキの風〜♪ その1 プロローグ
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リオネル
2008年12月14日 14:45 visibility235
朝、目覚めたら喉がメッチャ痛い〜(@_@)
オマケに熱っぽい〜(>_<)
おそるおそる体温測ると…
寝込むほど出ないけど
少し熱がある、微熱ってやつ。。。
平熱より0.7度高い。。
それでも36.2度って低すぎ〜!
なんか年々体温が低くなっている
二十歳代とか36度はあったと思うけど…
母は平熱が36.8度らしい〜(@_@)
「ひぇ〜!寝込む〜!!」って感じだけど
それが普通なんて、ちょっと信じられない…
今日は午後6時から
サンガのアワードパーティーに
参加してきます。。
CWC生観戦(TV)できません!!
きちんとした
一流ホテルで毎年
あるんですけど
こういう席では付き物の
来賓の挨拶ってのがあって
結構名の通った
政治家さんがいらっしゃって
ありがたい挨拶をされます。
まさかブーイングなんて
できませんから〜(>_<)
去年は京セラの稲盛名誉会長が
サッカー専用スタジアム建設を
懇願されてました。。。
京都は排他的な土地柄ですから
他府県の成功者を
快く受け入れる土壌なんてありません。。
あの経済界の大御所・稲盛さんをしてでも
新スタ計画は暗礁に乗り上げどうにもならないようです。。
(カミングアウト)
京都人でありながら大嫌いな京都人です。。。
オイラも両親は他府県ですからよそ者です。
(京都の戦後は応仁の乱で、その後に移り住んだ
者は戦後の人で生粋の京都人としては認められません)
↑みたいなことろがあるそうです。。
勝手にやってろ!
って感じで100年、200年では
相手にされませんな〜
(ひがみも入ってます…(^_^.))
ややこしいんです
同じ関西でも異例やと思います。
なんとなくサッカーが定着しないの
分かってもらえます??
麿の連蹴(リフティング)は
日ノ本一(ひのもといち)でおじゃる〜
オッ、ホッ・ホッ・・・・
雅(みやび)な平安京から
球蹴りやってて
サッカーに通じる
基礎って思い切りありそうなんだけどな〜
そう言うオイラも
生まれも育ちも京都でありながら
京都人じゃない出身地が京都なだけ。みたいな…
だからオイラの言うことも
あてになりませんが…(^_^.)
生粋の京都人のコメントを待つことにして…
えらい前置きが長くなりすぎて
本題は次の日記からってことで…
ちょい、このストーブリーグのあいだの
ネタつなぎで別カテで移籍や補強の話と平行して
今年一年間のオイラのサンガと共に過ごした
試合などを振り返ろうかな〜と思ってます。
シリーズのタイトルをどうしようかと
・全国帯同主義
・紫魂録
みたいな割と硬めが好みだったりするもんで…
でも書いてる内容がユルユルのフニャフニャだから…
ムラサキの風〜♪
って軽めなネーミングでお届けしようかな〜
とりあえず仮題ですけど。。。
他サポさんには
全然面白くない内容かも知れませんね〜(>_<)
サンガサポでもオモロない!という声は無視して…
今年は初練習からキャンプと
開幕前から頑張りましたので
その辺からスタートします。
ではcomeing soon〜♪
せっかくだしちょっと
蹴鞠でググッてみて驚きました。
結構歴史があるんですね蹴鞠って
平安時代どころじゃなかったです。
(資料1)
およそ一四〇〇年前、日本国史上で有名な「大化の改新」(645年)は、中大兄皇子が藤原鎌足と蹴鞠を機縁に非常に親密な仲になり、以後、その大業成就へとつながったことは広く知られているところであります。
このように大和朝廷時代に,中国から伝えられたといわれる球戯の一種ですが、日本に入ったときから、相手に受け取りやすく打ち返しやすい配球をする、リフティングとアシストの上手さを競う勝敗のない至って平和な球技です。
(資料2)
蹴鞠(けまり)は,約1,400年前の大和朝廷時代に,中国から我が国に伝えられたといわれる球戯の一種です。勝敗はありません。
我が国では,時代によって宮中において盛んに鞠会が催され,平安時代中頃以降の古文書には,鞠会の記述がしばしば見られます。
鎌倉時代には,武士階級でも盛んに蹴鞠が行われるようになり,室町時代を経て江戸時代に入ると,徐々に一般庶民にまで普及し,謡曲・狂言・浮世草子など様々な所でも題材になりました。
しかし,明治維新以後,蹴鞠も一旦途絶えましたが,明治36年(1903年)に明治天皇のご下賜金により,有志による保存会が結成され,今日に至っています。
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- 事務局に通報しました。
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