リオネル帰省録 其の壱


ただいま〜! 無事帰宅いたしました。

 

リオネル観光と言いたいところでしたが、観光はしてないので帰省録という事で感じたことを綴っていきたいと思います。

 

 

朝8時前に自宅出発!!

最寄の駅では近くに女子短大があるので、いきなり女子大生軍団のお出迎え!←誰も迎えてない!笑w

最近の娘は、みな可愛いね〜!←おいおい!!

 

京都駅から福山(のぞみで岡山の次)まで1時間ちょい。早いね〜。すごいよ新幹線!!

めちゃ混みかな〜と心配して指定とったけど案外すいてた。

 

福山からはバスで 大三島(瀬戸内海に浮かぶ大き目の島)まで1時間くらい。

山と海のロケーションが続く。いいですね〜!自然は…!!



バスは瀬戸内海の上を通る”しまなみ街道”を渡る!

 

写真は一番大きい多々羅大橋、ここまでが広島県。橋を渡ると愛媛県。

 

大三島のサービスエリアを降りれば、一足先に帰省している大阪のおじさん夫婦(母の妹夫婦)がお出迎え。感謝です。

 

ここ大三島のおばあちゃん宅には毎年、GWと10月ころに母方の親戚が集まるのが恒例。



写真はおばあちゃんがお世話になっている老人ホーム。

 

まず、おばあちゃんに会いに行く。僕は10数年ぶりの再会。

 

その前に少しおばあちゃんのことを…。

 

母が幼少の頃、おじいちゃんは大阪で商いをやっていて、まま成功していた。女中さんが5、6人いて身の回りの世話などしていてくれていたらしい。お洋服も大丸で仕立てて…。

 

 時代は戦前でやがて、おじいちゃんは大陸で成功したい!と野望を抱き単身北京へ…。

 ある程度の見通しが付いたのか家族を呼び寄せることに。家族全員のすごい荷物を先に送り、後でおばあちゃんら家族が行く予定だった。すでに、おじいちゃんは現地で召集され軍に配属されていた。

 

 荷物を船に積み込む際。おばあちゃんの鏡が割れた。何でもないのに突然割れたらしい。

おばあちゃんは不吉な予感を感じた。

 

後日、おじいちゃんの戦死の知らせが届く…。

没日はあの鏡の割れたその日だった…。

 

 戦況は益々悪化の一途をたどり、動乱の中、送った荷物が返ってくることもなく、おばあちゃんは多くの子供たちを連れて、着の身着のまま郷の大三島に戻ってきた。

 母の兄弟は9人いたらしいが、何人かは幼少の頃、病死していて男兄弟はたった一人残った。そのおじさんも当時は乳飲み子だった。

 

母10歳の時の出来事。

結構裕福だった家庭は一変して貧しい境遇におかれた。

 

 一家のご苦労は想像に絶えない。

母の姉たちは妹たちを学校に送るためにおばあちゃん共々相当苦労された。

 

気丈でちょっぴりプライドの高いおばぁちゃんも今年で97歳。

10数年前には僕の結婚式にも来て下さったんだが…。

 

無常にもその歳月は若かりし頃のご苦労も祟ってか一気に押し寄せた感がある。

 

4,5年前に今の施設に入ったんですが、その頃は長男のおじさんは神戸の方でサラリーマンされていて、おばあちゃんの一人暮らしも、いくら達者とは言え心配だから相当苦労して説得し入所してもらった経緯がある。

 

☆おばあちゃんとの再会。

 

年は取っていても元気だった、おばあちゃんの面影はなく、小さくなった身体を丸めてベッドの上で横たわっておられた。

 

痴呆もかなり進んでいるらしく、会った日はだいぶましな時だったみたいで、母やおじさんたちを識別理解しておられたので…。

 

 耳もかなり遠くなっておられたんで会話らしい会話は出来ませんでした。

 

 しきりに「遠いところわざわざすまないね〜」「何もしてやれずに申し訳ないね〜」と詫びておられた。

 

 僕のことは分からなかった様子で(孫不幸を重ねてたから仕方ない)

「こんなに大きくなって…」(僕が少年だった頃の記憶のままか?)

 

 おばさんたちは笑っていたが、僕は涙こらえるのに必死だった。

…今、抑えていた感情が爆発で号泣状態です。

もっと沢山会っておけばよかったと後悔しきり…。

 

体調もすぐれなさそうなので、すぐ別れを告げ施設を出ました。 

 



写真はおばぁちゃんの部屋から見える風景。

 

人の世話には絶対ならないと頑張っていたおばちゃんも今は下の世話から全部お世話になっている。骨折や病気などして年々弱っておられる様子。

 

施設はある意味、自分で動かなくても全部周りの人がやってくれる。食事から入浴など…。退化するのも早まると言う難点もある。

 

 一番驚くと共に悲しい気持ちになったのが、お世話して下さる方々。

施設の職員でない人たちなんですが、ボランティアの方か他の身内の方のお世話のついでか…。

 

 入所当初、おばあちゃんは、ちょっとお使いを頼んだりすればお金を渡していたそうです。優しく接してもらえたり、お世話かけてしまうことへの謝礼だったようですが…。

 

※一応原則として施設内には必要経費は支払っているので現金は必要なく、持ち込みも禁止されている。

 

 でも、おばあちゃんはお金を持ってきてくれとしきりに親戚に要求してたそうで、おばあちゃん自身のお金でもあるので無下に拒否もできず月に100万円近く渡したこともあったそうです。

 

 一体何に使うのか?お世話してくれる人への謝礼だが、おやつ一つ買ってきてもらってお駄賃1万円みたいな…。

 

 やがて多くの人がお金目当てで群がり、おじさんらも枕カバーの中や飾ってある額縁の裏、お守り袋の中などにお金を隠しておくのだけど根こそぎ抜き取られてしまうのです。何かあった時のために少しは現金も必要かとおばあちゃんには内緒で隠しておくんですが、行く度になくなっていたそうです。今はもうそのような事はなくなりました。

おばちゃん自身が用事を頼むこともできなくなってしまったので…。

 

 施設内に現金持ち込み禁止されてるので施設側にも相談できず、そんな現実がある事を今回はじめて知って、ただただビックリです。

悲しい現実です…。

 

長男のおじさんも今は定年しておばあちゃんの家に引っ越して来られたので毎日おばあちゃんに会いに行っておられます。

そして、毎年お正月はおばあちゃんを家に連れて帰ってくるので また会いに来てやってと言われました。

 

ぜひ訪ねたいと思いつつ今回のリオネル帰省録はこの辺で…。

 

其の弐はプチ観光編でも…。 

 

長々とお付き合いありがとうございました。 



写真はおばあちゃんが去年施設で作った作品。

きり絵?貼り絵?なんと言うのかな?とても上手に出来てます。









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