ファンタジスタ

プロフィール写真に飾っているように、私はロベルト・バッジョが好きだ。
サッカーとフットサルを混同して考えるのもどうかと思うが、私の目の先には
常に彼のプレースタイルが映っている。
(最近は中田英っぽいプレースタイルだが。。)

いつだったか、高原がHSVでプレーしている時、
「自分はストライカーとしてもっとエゴを出さないといけない。」
みたいな事を言っていたのを憶えている。
要するに、多少強引でも自分で点を取りに行く姿勢を持つという事だ。
これは自分勝手なプレーという意味では無いと思うが、
チームの為のプレーとは言い難い気がする。
点が入ればチームの為になるが、あくまで点が入ればの話。
強引さが過ぎれば自分勝手になり、仲間からクレームが来るだろう。

チームプレーとは、単純に個人プレーの集合体だと思う。
では個人プレーとは、単語で言えば選択であり、主張だと思う。

 ロベルト・バッジョ、ロナウジーニョ、ジダン、カンナバロにブッフォンといったチームなら、

ここで言葉のお遊びは終える事が出来る。
個々の選択と主張が個人として、そしてチームとしても喜びを与え、得点を生み、
失点を防ぎ、勝利に導くものであれば何も言う事が無いからだ。

しかし私は彼らのようなファンタジスタでは無い。
誤った選択をするし、その上で主張もするし、ミスもする。

誤ったと書いたが何を基準に誤ったのだろう。
選択は自由なのだから誤りもくそもない。

私はチームプレーとして、勝つ為、負けない為のプレーを目指す判断に
従っているのだ。
私はこの判断は『ある程度』だがチームプレーとして共有できるものだと思っている。
例えば、危険なプレーを避ける事など。
いや、これを共有しなくてはゲーム自体チームプレーと言える内容では無くなるだろう。
試合そのものが壊れ、サーカス状態になり得る。

相手が弱ければ問題無いが、逆の場合は悲惨だ。

 

チームメイトと協力しなければ勝てないからこそ、この判断は共有しなければならない。

これは強要では無い。共有だ。

もちろんチームプレーとしての判断に従わない時もある。

それは誰も責める事の出来ない事でもある。

あくまで選択は自由だ。

 

少なくとも、私は個人プレーとチームプレーを自分の中でせめぎ合わせながら

味方にも自分の気持ちを主張していくつもりだ。

チームプレーが上手くいきだした時こそ、自分の個人プレーを出す時だ。

 

エゴを爆発させて、自分とファンタジスタを重ね合わせる瞬間だ。

刹那に閃くイメージの選択。イメージを信じて体を動かし、ボールを蹴る。

誰の声も聞こえない。自分の鼓動しか聞くつもりはない。

 

その瞬間だけ、僕は自由だ。

 

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