続メンタル

週末は、やっぱり書けましぇんでしたっ♪
なので、【CL第4節】ブログにアップです。
もう、時期がちょいと過ぎましたけどね。
食べ頃、熟れ頃、ダイゴロー、ちょっぴり過ぎちゃってまずけど♪
(さっむいオヤジギャグだな・・・ぼぶさっぶですがな。。。ピュゥゥゥゥ〜)
そんなワケで、よろしかったらどぞ♪
『Road to PK BAR(仮名)』
http://wearecrazy.exblog.jp/

で、先日、オレ竜の話を書いたんですが、
週刊朝日だっけな、野村監督の評、見つけました。
曰く、抜粋すると、
まずは実況中継と解説者のレベルから話が入り、
「解説者として、思慮や洞察のレベルが余りに拙い」ということと、
それに付随して、「アナウンサーの余りに平凡な質問にも問題があると思うが」、
とも触れていた。

これを読むと、ナカタとテレ朝のインタビュアーとのやり取りを、
僕は思い出してしまうのだが、
要するに、技術論や戦術論ではなく、
日本のスポーツインタビューというのは、
どこか美談的な言葉を返してくれるもの、
なにか苦節何年浪花節的な感情を吐露してくれるものと、
そういった思い込みや刷り込み、定型と言ったものに、
捕らわれている部分が多い気がする。
シンデラレラ伝説も、勿論その1つ。

よく言えば阿吽の呼吸だが、悪く言えば、中味はないやり取り。

「いやー、苦しい試合でしたっ!」、
とインタビュアーが聞けば、別にコレ、何を聞いたワケでもないんだけど、勝手に、
「選手たちを信じてました。ファンの声援に、勇気づけられました」
例えばそういうような、模範解答が既に用意されていて、
そこに向かって誘導されていく、そんな予定調和の世界。
ある意味では、選手も僕ら見る側も、その世界を承知している部分が、
日本人的な世界観でもある部分もあるのだけれど。

ナカタの場合は、彼も頑なだなと思う部分があるけれど(笑)、
そういう感情論などではなく、
具体性のあることを訊かずして、意味はない、成長もない、進歩も無い、
というようなことを、恐らくは言いたかったのだろう。
一般受けするような、聞こえ心地のいい、耳障りの良い言葉、
を汎用性なく使いまわすことに意味はないと、いうことだろう。

例えば、メジャーリーグに取材にいく記者などは、
アメリカの監督たちに、日本人選手の活躍についてそういう訊き方をしながら、
それがどう評価されるんだろうか、とは考えたりすること、あるけれど・・・

さて、ノッケから話がズレたが(笑)、野村監督続けて曰く、
「勝つ可能性」という、まさにその、オレ竜采配の評価の柱となる観点で、
「確率から言っても、代える必要はなかっただろう」と言っていた。

それは、先日の日記の「ブレなければ良い」というブレの考え方が、
根本から異なる見解。
「仮に9回、山井が打たれ、パーフェクトが崩れ、動揺をきたし、
 逆転で中日が負けたとしても、もう2試合ある中で、
 川上というエースがいることや日ハムの投手の顔ぶれや打線の調子を見れば、
 圧倒的に優位である」、ということである。

あそこで山井にこだわることが、もしそれであの試合を落としたら、
岩瀬を使っておけばという悔恨の情含めた心理的影響を考えて、
シリーズ全体の流れを変えることを恐れて、石橋を叩いた、
という考え方とは、ベクトルが逆を向いているもの。

一言で言えば、キャッチャー的観点で投手力と打力を比べた時に、
日ハムには負けない、という確信めいたものが、
感じられることが根拠なのだろう。

野村監督は、ヒルマン采配についても、
ペナントと同じ用兵を貫いたことに対し、
「慣れないことをする、変えることが怖かったのだろう」とも、
例えばキャッチャーを2人併用したことを挙げて、言っている。
短期決戦とシーズンは、考え方を変えなければダメだと、
そういう示唆である。

固定観念、先入観は捨てて、最善の策を、練るべきだということだろう。

そして、最近ブログでも日記でも話題にしているメンタルで言えば、
監督の構え、姿勢として、
「人間の行動は全て、メンタルの支配から逃れることは出来ないと思うが、
 例えば上司や家族の一言で仕事への取り組みが変るというようなことは、
 誰しも経験があるはずだ」と、そうも言っている。

野村監督、格別好きでもなんでもなく、
ましてや夫人は好きどころか嫌いな部類だが、
思慮洞察、心理を図るということについては、面白い題材を提供してくれる。

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