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「ドーピング問題」と「真実の金メダル」
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吉田大五郎
2008年09月05日 10:27 visibility442
繰り上がりそうな室伏の銅メダルについて、
テレビのニュースを見ると、
やはり「銅メダル」というモノへの報道が圧倒的だ。
極端に言えば、
日本のメダルが1つ増えます!、
室伏選手は2大会連続のメダル獲得です!、
という表層上の、結果と成績のみの上辺の報道、という意味である。
もう少し掘り下げているところでも、
せいぜいが、東欧諸国のドーピング過多、薬物依存を、
「けしからんですね」とサラっと舐めて述べる程度である。
室伏が、4年前に引き合いに出したギリシャ神話からの話、
真実の価値はどこに在るのか、ということこそ、
当の競技者として、伝えて欲しいことではないのかなと、思う。
メダルの色、結果ではなく、
できることを自分が全力でやってきたかどうかというプロセス、
その努力を最大限、100%発揮することが出来たかという感覚、
それが、成績以上に大事なことだと言っているのであって、
そのプロセスや努力が、
誰にも恥じることのない、誇れる確かなモノかどうか、
ということを、
4年前に室伏は伝えたのだと思う。
ブログでは、「悟り過ぎ、達観しすぎたところもある室伏」、
と書いたりもしたが、
室伏が言いたかったのは、例え誰にもバレず終わったからと言って、
自分自身は真実を知っているということ、
他の人を騙し、隠し通しても、自分の努力に嘘をついて良いのか、
それでは競技者として頑張ることの価値が薄っぺらになると、
そういうことだと思う。
自分の成績、メダルの色などではなく、
ましてや五輪の場でメダルを受け取れない哀しさなどではなく、
例えば競技そのものがそういう目で見られたり、
競技者の努力にケチや疑いが付いたり、
そういうことを嘆き、悲しみ、提言しているのであって、
なぜスポーツが素晴らしいのかということを、
伝えていきたいのだと思うのだ。
報道ステーションでは、古館さんがこう言っていた。
「なぜ、試合後に検査するのか分からない。
大会前に全員に一律に検査を実施して、
そこで発覚したなら競技への参加をさせない方が、
こういう悲劇はおきないんじゃないか」と。
確かに、ジャマイカのパウエルが、
「(抜き打ち検査で)血を抜かれすぎて本番までに貧血だ」(笑)と言ったり、
フェルプスが「40回くらい抜かれたかな」というように、
抜き打ち検査は相当な頻度のようだが、
競技前に義務付けることも必要であるのかもしれないなーと、
そう思う古館コメントであった。
そんなワケで、今日のブログは【Number誌を喰らう】です。
よろしかったら、どぞ♪
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『Road to PK BAR(仮名)』
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