
野球を知って好きになり始めた頃 4
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コージ苑
2007年09月17日 03:22 visibility50
念願の少年野球チームに入れて、ユニフォームが着れて
練習、試合が楽しくてしょうがない(今も同じ・・試合より練習が好きかも)。
5年生にもなると、友達もグループ化してくる。
インドア派、いたずら探検冒険派、サッカー派、野球派で
遊び仲間が決まってくる。
放課後の仲間集めではいろいろ介入したりして。
野球は人数が必要なのでクラスの垣根がなくほかのクラスの
野球好きもはいる。
放課後毎日野球をするのが一番のよろこびであった。
しかし、家庭の事情で遊びに行く前に自分は夕飯の買い物に行くのが
日課なのでいつも野球に加わるのは1時間以上たってからである。
メンバーが偶数だといいのだが奇数になると
万年キャッチャーという非常に面白くないポジションを授かる。
どっちの攻撃でもキャッチャーで打撃はできない。
でも野球がやれることが幸せだった。
誰かが帰るか、誰かが加わるかしないとメンバーに入れないのだ。
晴れているのに野球をやらない日が年に何日かある。
それは日本シリーズの時である。
いまのようにナイターではなく平日のデーゲーム。
あれはホントにワクワクした。 名勝負が沢山あった。
パリーグなどオールスターと日本シリーズしかみないので
殆ど知識がない。
でもパリーグにも凄い選手がたくさん入ることを日本シリーズで
認識する。
野村ってのは選手兼監督なのかすごいなとか
阪急はアンダースローが多くてしかもエースはアンダースロー。
これが世界の福本か・・・。福本、蓑田の一、二番って凄いとか。
野球にドンドン引き込まれる。
翌日の話題はもちろん日本シリーズ。
知識欲も旺盛で「野球・・」と名のつくものは片っ端から読んだ。
友達の家に野球関係の本があれば借りてきたし、雨の日は
本屋で野球の本を立ち読み。
「ONの・・・」という冠のつく本が多かった。まだ王、長嶋
また一番身近な目標?甲子園にもドンドン興味をもつ
そして神奈川を制するものは全国を制するといわれた頃
現巨人軍監督の原が東海大相模の主砲であったとき
小学生の自分ははじめてお年玉を使って保土ヶ谷球場に
決勝を見にいった。
小学生の自分にとって高校野球はプロ野球に匹敵するくらい
迫力があった。
その原が出ている神奈川県大会の決勝の時
ある決意をした。
自分の家は裕福ではないし、私立にはいけない。
東海大相模、桐蔭学園、法政二校・・・。私学全盛。
そのときベスト4に残ったのが市立横浜商業(Y校)であった。
俺はここに入って甲子園に行こうと。
その後入学まではできたが・・・。
つづく
- 事務局に通報しました。
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