
野球と息子と18年(甲子園にはいけなかったけど)
-
-
コージ苑
2007年07月21日 07:26 visibility146
19日に仕事を抜け出して見に行った息子の最後の夏の大会。
息子も「今日は必ず勝つから・・・」の一言を信じてたけど
そこは親心で万が一負けたら・・・。というのもあったし
自分もそうだったように、父親が見に来てくれるって結構
嬉しいものだし。
一回の表に先制の1点。これでいけるかと思ったのだけど。
必死に投げる姿にどうしても勝たせてあげたいという
祈りをこめてスタンドで応援したけど。。。
四球、エラーがらみで長打一発。
4回を投げて5失点で降板。
最後まで投げさせて欲しかったと漏らしていた。
あまり泣き言を言うような子ではなかったので
よほど悔しかったのだろう。でも社会にでればそういう事も
経験しておかねばならないのかも。頑張れ。
その後2年生が投げて7回コールド負け。
結果論だけど、どうせコールド負けなら最後まで投げさせてくれよというのが
親心。自分も悔しかったし、2日たった今、ようやく冷静になれたかな。
「野球をやってよかった。」その一言が嬉しかった。
いい仲間にも恵まれて楽しい学生野球生活が送れたのは
救いだったと思う。
小学校入学と同時にグローブを買い与え
自分がおじさんに野球を仕込まれたように息子にも・・・
シュルシュルと風きり音がなる球を俺も取らされて
育ってきて。小学校1年の息子は手を真っ赤にさせながら
泣きながら一生懸命とってた。
母親はその星一徹のようなやり方に、激怒して野球なんか
やらなくていいとまで。
息子は小学校3年生からJリーグが流行り始めたのもあって
サッカー部に入部。
かなりショックだったな。でも休みの日はいつもキャッチボールは
欠かさなかった。
野球もよく見に連れて行った。最初は巨人ファンになりかけていたのを
強引にベイスターズファンにしたて、丁度その年にベイスターズが
優勝したのは、ファンになるのに十分なインパクトがあった。
雨の神宮に見にいったときは遅い時間で
足が痛いだの眠いだのいって家まで傘をさしながらオブって帰った
事。
テレビゲームを教えてファミスタを二人であつくバトルして
どっちがベイスターズをやるかで喧嘩したり
最初はコテンパンに息子をやっつけてたのが
あっというまにコテンパンにやられるようになったとき
初めて息子に負けた・・・と思った。
中学入学の時、サッカーか野球か、母親はサッカー、俺はもちろん
野球部に入れと。悩んだあげく野球部に。
打撃は苦手だったのでどうせ打てないのなら、左打者になれと
左打ちの特訓。サッカーをやってて足は速かったので
中学から野球を始めたハンデを少しでも補いたかったので。
でも親子で頑張り左でも少しずつ打てるようになってよかった。
息子が中学1年の夏。子供に大変申し訳ないが
離婚をして子供には悲しい思いをさせてしまった。
それからは離れ離れで生活。
メールでのやりとり、たまに会ってキャッチボールを
したり、野球を見に行ったりの生活。
本人が一番努力したんだろうな。頑張ってエースまでになって。
最後は無念の降板、コールド負け。
スタンドで元妻と再会。18年を振り返って少し話をした。
この元妻がいて息子がいるのだから、
感慨深いものがあった。
元妻ももともとは高校野球ファンだったので
息子の応援にも自然と熱が入る。
よくここまで育ててくれたと感謝の言葉を伝えた。
ホントは離婚しないで育てられればよかったのだけど
野球に禁物のタラレバ。
大学に進学だが、野球部にはもう入らないといっているので
これからは一緒に草野球を息子とやれる。
それが一番の楽しみ。
18年。短かったような長かったような。
子供の頃はへなちょこな投げ方でこいつは野球のセンスないな
とおもいながら何度も何度も矯正したけど
ピッチャーをやるまでになったし。
クイックとけん制を教えられなかったのはホントに後悔。
これからは受験勉強頑張れ。たまには
親父の野球の相手もしてくれよ。
- favorite36 chat11 visibility146
-
navigate_before 前の記事
ベイスターズミラクル第二章
2007年9月26日 -
次の記事 navigate_next
仁志の引っ張りがいい!!そして大西もお礼の一発!!
2008年6月11日
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件