
野球を知って好きになり始めた頃 3
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コージ苑
2007年09月16日 05:22 visibility44
年相応に投げたり捕ったりできるように4年生くらいになると
できるようになって、でもなかなか野球をやる友達がみつからずに
ずっと自主練習が続く。
小学校4年までは横浜でも町田との境当たり、東急田園都市線沿線に住んでいた。
山を切り崩し区画整理が行われているさなかで
その辺で仮面ライダーの撮影ができるような広いさら地が多数あった。
いつもそこで未舗装の道に転がっている石を工事用の杭でガンガン打っていた。
一人ごっこ遊び。「一番中塚、カキーンセンター前ヒット。」などいいながら
石も芯に当たればガンガン飛ぶ。
こう打つとフライ、こう打つとライナーとか。
自分でもいまでも好きなヒットは野手の頭の上をライナーで越すヒット。
足が速くないせいもあり野手の間を抜くヒットは少ない。
遠投の練習もそこでしていた。大き目の石を「バックホーム」なんて
いいながらどこまで飛ぶか投げてた。
自分の世代だとあまり裕福な家というのは少なく、自分の家もそうだった。
ユニフォームを着るのが一つの夢だった。
体操着の下に青系の長袖をきて、体操着に新聞を黒く塗りつぶした紙を
「TAIYO]と切りぬいいて糊ではりつけ
背中も同じように紙で背番号を貼り付けてなりきっていた。
それを着て工事用の杭で石ころを打つとまた格別(笑)
リトルリーグとかあったのだけど貧乏の我が家には無縁だったな。
とにかく野球がやりたかった。
小学校5年で横浜でも今度は湘南よりに引っ越した。
貧乏にはかわりわなかったが少し環境が変わってきた。
父とはなんと47歳も離れていて、自分が小学校入学と同時に
定年という状況。
病気をわずらい身体障害者にもなってしまったので
家事をかなりやらなければならない状況で
買い物は私の日課であった。
学校のグランドでいつも同級生がユニフォームを着て
野球をやっているのを買い物かごを持って
眺めていた。
少年野球のチームの監督が同級生の父がやっていて。
「君も一緒に練習しないか?」と言われて
天にも昇る気持ちでダイヤモンドに足を踏み入れた。
これが野球だ。俺は野球をやってるんだ。
あの日の喜びは今でも忘れない。
あの同級生の父にはホントに感謝している。
家の親を説得してくれて、ユニフォームも買えない様な
貧乏だったから監督のお古のユニフォームを
譲ってくれた。
実は親に買ってもらったユニフォームというのは
中学の部活のユニフォーム一着である。(ありがたいことなのだが)
小学校5年にしてはじめてユニフォームを着て野球ができるようになった。
夢はドンドン広がっていく。
(つづく)
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