思い入れ順の高校野球代表校(パクリ) (1/11, 94930,22)
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元大阪爺
2010年01月11日 12:02 visibility124
マリンさん,Mr.Blackさん,aoiさんらが都道府県別私的代表校リストを発表されていてそれを眺めていたらいろいろな思い出が浮かんできたので私も書きます。ただ,私の場合は思い入れのある学校(府県)だけということで。やはり,選抜より夏の大会の方が思い出が深いですね。
私が気合いを入れて高校野球を観ていたのは,1960年台後半〜1980年台半ばくらいまでで,その間の主なイベントというと,1)松山商業-三沢の決勝延長18回引き分け再試合(1969年),2)作新学院:江川の登場(1973年),3)箕島-星陵の延長18回箕島サヨナラ勝ち(1979年),4)池田のやまびこ打線(1982-83年),5)桑田・清原のKKコンビ(1983年-1985年)といったところです。青森代表に三沢をあげるかどうかで,1を経験したかどうかがわかりますね。ということでMr.Blackさんと私はおそらく同世代,マリンさんとaoiさんは我々より下の世代で,マリンさんとaoiさんのどちらが若いかというと・・・自粛。
以下,思い入れの順番ですから見づらいかもしれませんがご容赦下さい。
大阪
興国:1968年(第50回大会)で初出場初優勝。この時,私は小学校高学年。初めて高校野球を気合いれて見ていたので非常に印象に残っています。もう40年以上前ですが,いまだに興国高校の校歌を口ずさめます。
PL学園:解説不要ですね。
静岡
静岡商:上記の興国高校の決勝の相手が静岡商で,エースは1年生左腕の新浦投手でした。決勝のスコアは0-1。解説者が何度も「新浦投手はまだ1年生ですので将来が楽しみですね。」と言ってましたが,その後1年生で退学して巨人に入りました。新浦投手が韓国籍だったので,ドラフト対象外だったからです。このため,ドラフトの規定が変わりました・・・まあ,そんなことを知ったのはずっと後です。その後の新浦投手の活躍についてはご存じの方も多いと思います。高校1年で中退して巨人入りの左腕投手ということで,「巨人の星」の設定そっくりですが,「巨人の星」のストーリーの方が先で,新浦投手が「巨人の星」のモデルという訳ではありません(たぶん)。
徳島
池田:ゆまびこ打線,蔦監督,スモールボール全盛の高校野球をパワー打線で粉砕したのが痛快でした。その後の高校野球の流れを変えたと思います。水野投手VS桑田・清原というのもありました。
青森
三沢:1969年(51回大会)の決勝延長18回引き分け再試合で次の試合で敗れました。太田投手は18+9の27回を一人で投げ抜きました。このときの彼の人気を抜ける選手はいまだに出ていないと思います。
愛媛
松山商:三沢の敵役として。ただし,当時は,松山商を応援していました。
和歌山
箕島:当時大学生で,箕島-星陵の延長18回(3回戦)の試合は友人と麻雀をやりながらTVで観ていました。延長戦で2度も2死から本塁打で追いついたのには本当に驚かされました。皆でずっこけたのを覚えています。
栃木県
作新学院:1973年の夏の大会は2回戦負けでしたから,同年の春の選抜での準決勝での広島商との試合が印象的でした。この選抜では,各校が「打倒江川」で種々の工夫をこらしてきたのが面白かったですね。広島商業は伝統の広商野球(スモールボール)で江川を倒しました。
広島
広島商:上述の作新学院(江川)の敵役として,あるいは,高校野球の常道戦法(スモールボール)の(良くも悪くも)体現者として。
愛知県
東邦:バンビ坂本投手(1977年,59回大会)の印象が強い。
兵庫県
東洋大姫路:上記の坂本投手を擁する東邦を決勝で破った。
京都
平安:京都・滋賀は,長い間「京滋代表」となっていて,滋賀県の学校はいつも平安に阻まれて甲子園に出られなかった。私の父母の実家である滋賀県の敵として。
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