☆全国中等学校野球史(16)~新潟~

新潟県に最初に野球が伝わったのは、明治22年のことで、長岡中(長岡)のアメリカ人英語教師が野球を教えたという。長岡中に正式に野球部が創部されたのは明治32年であった。
また、明治28年に新潟中(新潟)、明治30年に高田中(高田)で野球部が創部され、この3校の間で対抗戦が行われるようになった。
その後も、明治32年に新発田中(新発田)、明治34年に新潟商、柏崎中(柏崎)と続々と創部した。
大正4年の第1回夏の全国大会予選は、8月末に開催が決まっていた北陸関西中等学校野球大会を優先させたため不参加であった。
大正5年に初めて開催された第2回夏の全国大会北陸予選には、新潟中のみが参加した。
大正7年からは長岡中が3年連続で全国大会に出場した。当時の新潟県勢は、北陸で圧倒的な力を誇っていた。
大正12年からは、山梨県が参加しなくなっていたため実質的には長野県の単独予選となっていた甲信予選に組み込まれ、甲信越予選と名称も変更された。これにより、長野県の壁に阻まれ全国大会への出場回数が減った。


初代表校
長岡中(大正7年夏)(現・長岡)

初勝利校
長岡中(大正9年夏)(現・長岡)

最高成績
準優勝

春夏通算成績
30勝66敗

最多勝利校
日本文理 11勝





以上です。

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