☆3月24日 夏の予選準皆勤校~仙台二高~


LaBOLAリニューアル前に悲願達成!
定期戦マニアの方にはたまらない一品です。
硬式野球部の定期戦をここまで大々的にアピールしている学校は他にはないでしょう(対戦相手の仙台一高にも似た様なボードがあるようです)。

宮城県で最初に中等野球部が創部されたのは仙台一中(仙台一高)で、1897年(明治30年)であった。その後、1900年(明治33年)に仙台二中(仙台二高)で野球部が創部され、両校の間で定期戦が始まった。
この定期戦は「杜の都の早慶戦」と呼ばれ、両校にとって甲子園出場をかけた県大会を凌ぐ最大のイベントとなっている。「1900年に最初の定期戦が行われた」というのが定説になっており、本場の早慶戦よりも古い(最初の早慶戦は1903年に開催された)歴史を有する。しかし、1916年(大正5年)に、白熱した展開が両校の応援に火をつけ、紛争へと発展したため試合は中止、定期戦も廃止(中断との見解もある)されてしまった。その後、戦後まもない1946年(昭和21年)に再開され、現在の定期戦はこの1946年5月をもって第1回定期戦とし、毎年5月に開催されている。

わたしがこよなく愛する仙台二高は、1900年(明治33年)に宮城県第二中学校として創立された歴史と伝統を有し、また、東北有数の進学校である。
夏の予選は、1916年(大正5年)の第2回大会予選(東北大会)に初参加し、その後、1度も欠かすことなく予選に参加し続けている、夏の予選準皆勤校である。
甲子園には、夏の選手権大会のみ3回出場し、通算成績は3勝3敗、最高成績は1947年(昭和22年)の第29回大会でのベスト4進出で、このベスト4進出は宮城県勢としても春夏通じて初の快挙であった。

早稲田カラーのユニフォームである仙台二高の甲子園復活を期待したい。





以上です。

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