☆関東大会出場校ぶらり散策日記


茨城県の東北部に位置し、古くは豪族・佐竹氏の城下町として栄え、水戸光圀公が隠居していた西山荘があり、元・大洋の金沢次男投手や一青窈などに楽曲を提供しているマシコタツロウの出身地で、平成の大合併で茨城県の中で一番面積が広くなった、人口約5万9,000人の常陸太田市に、太田一高があります。

太田一高は、1900年(明治33年)に茨城県立水戸中学校(現・水戸一高)の太田分校として設立され、野球部も同年に創部された、歴史と伝統のある【古豪の雄】でございます。

太田一高は、甲子園出場こそありませんが、春の関東大会に6回出場、秋の関東大会に2回出場し、関東大会の通算成績は2勝8敗です。

 

関東大会での最高成績は、1989年(平成元年)第42回秋季関東大会のベスト8で、この年が甲子園初出場に一番近づいた年でもありました。

その時は、茨城県2位として関東大会に出場し、一回戦で銚子商業(千葉1位)に6-3で勝利し、二回戦では、横浜商業(神奈川1位)を延長の末、4-3で破った春日部共栄(埼玉3位)との対戦予定でした。

 

 

ころが、悲劇が起きました。

 

食中毒のため、試合を棄権。

試合ができず、不戦敗となった選手達は、悔やんでも悔やみきれなかったでしょうね。

 

 

野球部室には、『敵は灼熱の太陽だ』という言葉が貼ってあるようです。
(多分、今も)

 

 

 

 

 

以上です。 

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