☆ 気力 II

 

 

早稲田実業学校は早稲田大学創立関係者によって大隈重信の教育理想を実現するため、1901年(明治34年)に創設された。

野球部の歴史も古く、1905年(明治38年)に創部され、1915年(大正4年)に開催された第1回夏の全国大会にも出場を果たしている。当時は『全国中等学校優勝野球大会』の名称で開催されており、たった10校で争われた。
早稲田実業は初めての全国大会の初戦で神戸二中に 2 - 0 で勝利し、初白星を挙げている。記念すべき第一歩は、第1回大会でマークした。以後、これまでに春23勝、夏43勝の合計66勝を積み上げている。

甲子園で通算66勝を挙げている早稲田実業だが、全国制覇は春1回、夏1回の合計2回である。初優勝を果たしたのは、王貞治選手が2年生ながらエースとして活躍した1957年(昭和32年)の選抜大会である。
このとき、王選手は3試合連続完封で勝ち上がり、決勝戦でも完封の期待がかかった。だが、高知商業相手に3失点を喫して4試合連続の完封勝利は逃してしまう。しかし、試合は 5 - 3 で勝利し、関東に初めて選抜優勝旗をもたらした。


王選手は早稲田実業卒業後、我が巨人軍に入団。一本足打法で、2回の三冠王、13年連続ホームラン王、通算ホームラン868号などの大記録を樹立し、初めての国民栄誉賞を受賞した。

早稲田実業の校門前には、ホームラン世界記録達成と第1号国民栄誉賞受賞を記念し、「気力」と刻まれた石碑が建てられている。

 

 

『「努力」というのは30歳過ぎくらいまで、自分自身に向かって発している言葉。とにかく猛練習で打てるようになったので、それは天賦の才能ではない、何事にも練習を忘れてはいけない。これをつねづね自分に言い聞かせていたわけです。

「気力」は、今度は自分を奮い立たせることでの動機づけ。33、34、35あたりになってくると自分自身で意識してファイティングスピリットを燃やしていかなければならない。そんなことから普段、サインにそう書いて、それで自分に言い聞かせていたのです。』
~「21世紀への伝説史 王貞治」より抜粋~

 

 

私は王選手に憧れ野球を始め、いつの間にか巨人ファンになっていた。

 

 

 

 

 

以上です。

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