
東へ向かえば春が来る
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spa
2013年02月14日 09:48 visibility2750
昔、グレート金山というボクサーがいました。
本名は李東春
韓国でプロデビューし強打で頭角を表すも世界タイトルには届かず、最後のチャンスを求め玄海灘を渡ってきたボクサー。大阪のジムに所属し、グレート金山という名で再出発した彼はやがて日本バンタム級のタイトルを獲得します。
そして世界ランクにも入り、日本タイトルを防衛しながら世界タイトル挑戦をしきりにアピールするも、彼が所属するジムに世界タイトルマッチを交渉出来る力はなく、また韓国出身のボクサーということでなかなかスポンサーもつかず、苦しい生活を送りながら、若い日本の選手の高い壁となっているだけの存在でした。
やがて日本タイトル八度目の防衛戦で終始相手を圧倒しながらも不可解な判定負けを喫し、彼は虎の子の日本タイトルを失います。
しかしこの試合の判定がボクシングファンの間で署名活動に繋がる程の議論になり、JBC(日本ボクシングコミッション)は両選手に再戦することを命じます。時を同じくして、彼は大阪から東京のジムへの移籍を実現させます。
移籍した東京のジムは過去に世界タイトルマッチを実現した実績のあるジムで、彼が日本タイトルを取り戻したら世界タイトルマッチの交渉に入ると発表していました。ようやく一筋の光が見えてきた彼は、まず失った日本タイトルを取り戻さねばなりません。長かった不遇の時代を抜け先が開けかけてはいましたが、背後も崖っぷちという状況を本人が一番よく分かっていたはずです。
1995年9月5日
日本バンタム級タイトルマッチ
川益設男 ー グレート金山
初戦とは違いこの再戦は川益のパンチが冴えて、3ー0の判定で再戦も川益選手の勝利に終わりました。
敗れた彼は控室に自力で戻りましたが
「気持ち悪いよ」と最後の言葉を残して意識を失い、そのまま眠りにつきました。
享年33歳
グレート金山が亡くなって半年後、後楽園ホールで追悼式がありました。
その時、彼の婚約者だった彼女が彼が使用していたガウンを羽織ってリングに上がり、ボクシングの不当判定を無くして欲しいとリング上から訴えました。
残念ながら今でも時折り見られる不当判定と思われる試合を見ると、いつもあの追悼式での彼女の言葉を思い出します。
グレート金山は悲運のボクサーとして、今でも多くのボクシングファンの記憶に残っています。僕も彼を悲運のボクサーだと思っていましたが、最近になって少し違う思いも出てきました。彼は短い生涯をボクサーとして、一人の男として必死に駆け抜けて行ったのだと思います。
韓国で途方に暮れていた頃、彼はこう思ったそうです。
「東に向かえば春が来る」
彼の本名、李東春にちなんで、東(日本)に向かえば春(チャンス)が来ると・・・・
現在、グレート金山こと李東春は故郷・韓国で眠っているという。
spa
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- 事務局に通報しました。
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