酒よ・・・おまえは!=小林繁と江川卓の邂逅=
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Miya
2007年10月12日 11:39 visibility2816
小林氏「お互い避けてたんかな?」
江川氏「え〜…」
小林氏「俺もしんどかったけどな。2人ともしんどかった」
江川氏「そうですよね」
http://www.daily.co.jp/gossip/2007/10/10/0000687269.shtml
酒をくみかわし、28年の年月を経て歴史的な和解を果たす2人・・・。
テレビCMの企画で小林繁と江川卓の共演が実現し、11日から全国放映される。
酒造メーカー「黄桜」ってこういう会社だったの!? すごいじゃん!
2人は昭和53年に起きたプロ野球ドラフト会議史上最大の事件「空白の1日」の当事者。
江川氏は野球協約の隙を突き、「空白の1日」を主張して巨人にゴリ押し入団しようとして大騒動となった。結局ドラフトで指名された阪神に1日だけ入団し、トレードで巨人入りするという不可解な決着がついた。その事態を収めるために「身代わり」として巨人から阪神へ交換トレードされたのが小林氏だった。
プロ野球を揺るがせた“大事件”の当事者同士が、話をするのは今回が初めてらしい。
球場などで顔を合わせても会話を交わすことのなかったというから驚く。
次期巨人監督だと噂される江川氏であるが、彼が監督就任を固辞する理由として、過去に受けたバッシングの傷が今だに癒えていないということは確実にあると思う。
なんせ当時、世間の怒りはすさまじく、全世界を敵に回したような強烈な集中砲火を浴びた。
大学を出て一年しか経っていない青年がよくも自殺をしなかったなぁ・・・と思ったほどである。
巨人に入団してからも非難は続き、人格者で通るあの王さんが「江川とはキャンプで同室になりたくない」と発言したと報じられた。チームメイトは当然、犠牲者となった小林氏に同情を寄せたものである。
その後、本人は必死にダーティ・イメージを払拭するように努力をし、今ではすっかり「ひょうきんな江川さん」で通っている。
しかし、彼の中では警戒心は解かれていない。
「俺が監督になればマスコミには格好の餌食。失敗すればボロカスに叩かれるのに決まってる」
という思いがあるのだろう。
脛に傷を持つ身だけに、いったん叩かれ出したらどこまでエスカレートするかわからない、そこまでして・・・と思ってしまうのも無理はない。
ひょうきんタレントとしてそこそこのギャラを稼げるようになった現在、プロ野球の監督などという割に合わない稼業に身を投じる必要はない。なんせこの仕事はキレイなまま、勝ったまま勇退できる人はほとんどいない。最後はボロボロに叩かれて追われるのが落ちだ。
それでも・・・。
あのひょうきん江川が本当の江川卓なのか・・・?と思う。
高校時代にどんな打者もその剛球でいとも簡単にねじ伏せてきた帝王・江川卓だ。プロ野球は13勝5敗の成績を残しながら32歳の若さであっさり引退している。こんな投手が他のどこにいるだろう?あのニコヤカな表情の下では、誰も触れられないほどの熱い闘争心と強い自負心がたぎっているはずだ。
「俺が監督をやればこんなことでは済まさない・・・」
きっとそんな思いは必ずあるはず。
いつかは江川卓の野球というものを見せて欲しいものだ。
あの落合博満の野球と同じくらい興味深い!
落合自身も江川に対しては、
「はやく監督をやれよ!おまえなら大丈夫だ」
と熱いエールを送っている。
現役時代の対戦を通じて、江川の頭脳に感心させられた落合ならではの素直な太鼓判だろう。
同時に「原じゃー駄目だよ!」と言ってるようなものだな。(笑
もし、彼が監督を受けようと考えた際に、必ず彼の脳裏によぎるであろう過去の「空白の1日」事件。
これはもう野球人・江川卓が背負ってしまった十字架のようなものだ。死ぬまでついて回るだろう。
あとは、本人がそれに対してどう折り合いをつけるか・・・それだけなのかもしれない。
その中で、多分、大きなわだかまりの一つとなっていた小林氏との邂逅。
この企画は広告代理店幹部と黄桜の松本真治社長が酒席で盛り上がり、決まったというが、それにしても瓢箪から駒のような話だ。
黄桜はおおいに株を上げるに違いない。
江川監督実現に向けて、いいニュースだったと自分では勝手に思っている。
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