岡田放浪記ハットトリック〜履正社高校
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仲本
2010年06月27日 22:53 visibility601
本日3発目。
「ウチの若いヤツのも頼むわ〜」ということで、北陽高校の最寄駅・上新庄から阪急電車でさらに移動。曽根駅から歩いて15分。履正社高校に向かいました。オリックスで売り出し中のT−岡田の母校です。
さすがに3校目ともなると蒸し暑さが身体にこたえてきました。
住宅街を通り抜ける通りを黙々と歩きます。
(※注:言わずもがなですが、1日で回ってます)
…「ウチの若いヤツのも〜」、はっ!岡田監督!?
幻聴か…、(危険だから[e330])
グラウンドは低木で目隠しされて見えませんでしたが、あまり人の声は聞こえてきませんでした。校庭は人工芝とも聞いていますが、ということは野球部のグラウンドは別にあるのでしょうか?
履正社はもともと大阪福島商業という名の男子校でした。大正時代開校の学校だそうですが校名変更を手始めに特進コースや共学化やなんやとすっかり様変わり。当然ながら野球部は強化クラブで、近年は上位進出の常連になってきました。甲子園出場は春2回夏1回。
初めて甲子園にコマを進めた97年夏。大阪大会の決勝戦を途中から球場で見ました。履正社−関大一という当時としては非常に珍しいカードになり、確か日生球場でしたが大変な人でした。そのころわたしは仕事についていたので多分土日とも重なったのでしょう。履正社の投手は細身の選手で「細腕繁盛記」などという見出しがつきました。
甲子園では岩手・専大北上と対戦。重盗か何かを仕掛けて失敗したのだと思います。2−1で敗退。初出場ということでもともと期待薄ではあったのですが、あれはちょっとないなあ、と大阪では言われました。
秋は準々決勝で敗れ、近畿大会出場はなりませんでしたが、春は府大会優勝、近畿大会も準優勝しています。「甲子園で勝てる大阪の強豪」と呼ばれるにはまず代表をつかむこと。春季優勝とあってマークも相当きついはずですが、突破できるでしょうか。
岡田放浪記まとめ
その1
http://baseballsns.jp/member/19984/diary/181790/
その2
http://baseballsns.jp/member/19984/diary/181806/
3回にわたってお送りした緊急企画・岡田放浪記はこれにて終了。閉店ガラガラ〜。
…はっ!しまった!
「ますだ」になってる!
- 事務局に通報しました。
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