45年ぶりの復活秋田中央高校

 

 

おはようございます。

ここ常陸の国水府地区は毎年恒例の夏のイベント「ロックインフェスひたちなか」も8月12日に終わり穏やかなお盆を迎えております。

 

夏の第101回の高校野球も中盤を過ぎもう半分以上の学校が敗れて故郷へ戻り新チームを結成して早くも来年の第92回選抜高校野球を目指して新チームを結成して、まずは秋季大会を目指して練習に励んでいる事と思われます。

 

今年は打高投低の大会のような気がします。

101回目で初の白河の関越えなるか?

現在のことろ東北地区は3勝3敗で5分と結構健闘している方だと思います。

一昨日の八戸学院VS智辯の一戦八戸学院負けた!と思いましたが逆転先週の直向さが出て好ゲームだったと思います。

 

さて我が故郷代表の秋田中央高校は残念ながら1回戦で京都の立命館宇治高校に0対1と敗れてしまいましたが

エース松平君ナイスピッチングでした。

しかしながら3安打では勝てません。秋は打撃を強化にまた92回目の選抜を目指してほしいと思います。

 

今回秋田中央高校は45年ぶり。

大会出場校の中では1番のブランクが長い高校でした。

その歴史及びヒストリーを簡単紹介します。

 

秋田中央高校は大正9年土崎町立実科高等女学校として創立。のちに秋田市立女学校となり、昭和23年学制改革

で秋田市立中学と合併して秋田市立高校となった。

昭和57年に県立に移管して秋田中央高校と改称した。

 

所在地は秋田県土崎港南3-2-78である。

 

野球部創部は昭和20年、翌21年から予選に参加。昭和41年には屋内練習場を作るなど野球部の強化に努めた。

その効果が出たのか、43年夏にエース鎌田忠和と2年生投手の高橋千秋の2投手にレフト中島義博らで甲子園

初出場を果たす。

甲子園では2回戦で先発した高橋が好投し市立神港に7対2で快勝

3回戦では鎌田が先発して、高橋に継投、中島も2試合連続の本塁打もでて智辯学園も7対2と快勝した。

準々決勝は準優勝した静岡商業の左腕の好投手新浦と対戦したが1対5で敗れた。

 

翌45年秋田市立の中興の祖と言われる塚田文也監督が就任。

翌46年第53回選手権大会に2年生バッテリー船木千代美(TDK監督)と戸部良一(秋田鉄道管理局→JR東日本東北監督)のバッテリー出場したが初戦報徳学園に0対7と完封負け。

 

翌54回大会も2年連続出場した。

1回戦はエース船木が米子工業を3安打完封したが、2回戦で東海の暴れん坊東海大工業の打撃の前に3対5で敗れてしまう。

 

その後49年第56回大会でもエース石崎透(東洋大→秋田相互銀行)を擁して出場したが2回戦奈良郡山高校と

延長戦を繰り広げたが、延長10回表ランナー満塁で郡山高校宮城に右中間を破る3塁打を打たれて0対4と惜敗している。

 

その後は59年夏は準決勝、61年秋は東北大会に出場、翌62年夏も準決勝迄進み、平成2年夏は決勝まで進んでいる。平成5年塚田監督が異動で退任。

 

10年秋はエース谷藤徹で県大会3位となり東北大会に出場した。

18年夏も決勝まで進むが惜しくも甲子園出場は叶わなかった。

 

今回決勝で明桜(旧秋田経済大付属高校)を決勝でサヨナラ勝ちしての45年ぶりの出場。

やっと甲子園へ帰ってきた。

 

前にも記載したが秋田中央高校とは私の中では色々な因縁がある。

 

①高校最後の試合が秋田市立高校であったこと。

私のライトでのクッションボールの処理が2塁打で止めるべきところを3塁打にしてしまった。

 

②その試合で秋田市立の2年生で中継ぎに出てきた左腕投手佐藤秀明と対戦した。

佐藤は東洋大学→日立製作所と進み阪神と近鉄で活躍し日本シリーズでも左のショートリリーフとして投げた。

対戦した印象は球もそんなに早くなく、大した印象はなかった。

 

③私の父方の従兄が石崎透と一時秋田相互銀行でバッテリーを組んで都市対抗へ秋田市代表で出場した。

 

④石崎透と甲子園へ出場した2年生でサードだった田鎖勝紀(東洋大→北海道拓殖銀行)が地元の中学の出身で

高校時代コーチに来てもらった。

 

 

今回長い冬の時代を終え秋田中央高校が甲子園へ出場したことは感慨この上ないが、やはり一つ残念なのは校名が変わっているということである。

 

やはり秋田市立高校は秋田市立高校のままでいて欲しかったというのは正直なところである。

 

しかしこれも時代の流れ、しょうがないのかもしれない。

 

 

 

(第54回大会で力投する秋田市立高校エース船木千代美、のちにTDKの監督としても都市対抗で優勝を果たしている)                                 

 

(2回戦で東海大工業(現東海大翔洋)に力負けした)

 

(第56回大会でも石崎透を擁して甲子園出場するが10回宮城に走者一掃の3塁打を打たれて万事休す)

 

(第101回の秋田県予選決勝、延長11回5対4で明桜に執念のサヨナラ勝ち)

 

(秋田中央高校の斎藤光の打球が一瞬打球判断を誤ったセンターの頭上を越すサヨナラヒット。45年分の執念のヒットである。)

 

(無情にもボールがグラブからこぼれおちる)

 

 

 

 

                               おわり

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