我が栄光の「矢留軍」(秋田県立秋田高校)

此処常陸の国水府地区は全国同様7月に入り日照不足が続いており秋の米の収穫が心配です。

気温はそんな高くはありませんが蒸し暑い日々が続いております。

 

さて第90回都市対抗も始まり、そして第101回全国高校野球選手権大会の地方予選も佳境に入ってきました。

そんな中今日は先日行われた秋田県立秋田高校(矢留軍)を紹介します。

 

1915年7月1日、大阪朝日新聞社に「全国中等高校野球選手権大会」の開催告知がされた。

参加校が「各都道府県連合大会における優勝校」とされたのは現在と同じであるが、先週の往復の汽車賃は

「地方の中学が自費ではこれないだろう」との判断で「主催者側の負担」とされている。

 

但し大会まで1カ月しかなく予選を行うには時間がなかった。

そこですでに行われていた各地区の大会の優勝校を代表として選出、大会が行われていない地方は臨時の予選会を行い晴れの10校が豊中グランドで後に現在まで続く日本人の国民的行事の甲子園大会が始まるのである。

 

その10校は

秋田 秋田中学

東京 早稲田実業

三重 山田中学

京都 京都二中

兵庫 神戸二中

和歌山 和歌山中学

鳥取 鳥取中学

広島 広島中学

香川 高松中学

福岡 久留米商業

である。

 

その栄えある第一回大会で秋田中学(現秋田高校)は予想外の健闘を見せ

山田中学を9対1

優勝候補の早稲田実業を3対1で下したが

決勝では京都二中に延長13回の末に1対2でサヨナラ負けを喫した。

 

以来秋田県の決勝は昨年の夏の金足農業以来なかったわけである。

 

秋田県立秋田高校は以前は矢留軍と呼ばれていた第一回大会は胸に「YADOME」と書かれたユニフォームを身に着けていた。

矢留は秋田の城氏の佐竹氏が居城した「久保田城」の別名である。

 

秋田高校は明治6年9月洋学校として創立、7年伝習学校と総合して太平学校となる。

以後統合、改称を経て、34年県立秋田中学となる。

昭和23年学制改革で秋田南高校となり、28年秋田高校と改称し現在に至る。

 

所在地は秋田県秋田市手形中台1で地元では秋高なので「しゅうこう」と呼ばれている。

偏差値は71と秋田県の中では最高の値であり進学校でもある。

 

秋田県高野連の連盟史「翔球」では明治27年の創部となっているが、実際には19年~24年頃には創部したと思われる。

 

大正4年の1915年の第一回大会では前述したとおり東北代表として準優勝している。

当時は東北屈指の実力を誇る盛岡中学などの岩手県などに行かなかったことから後に物議をかもした。

 

戦前戦後まで秋田県の高校野球を牽引してきた秋田高校。

第一回大会以降夏の甲子園への出場は夏19回、春5回で夏は秋田商業の18回を上回っている。

 

第1回以降甲子園での最高成績は昭和40年1965年の夏大会では左腕鎧文行の好投もあり

一回戦 大鉄高校4対3

二回戦 日大二高5対3

準々決勝 津久見高13対1

準決勝 3対4と敗れたが見事ベスト8へ進出した。

 

2019年の令和元年の第101回の秋田県予選で秋田高校は優勝候補の明桜に後半粘りを見せたが惜しくも3対4で惜敗し短い夏は終わってしまった。

 

平成15年の2003年の第85回大会以来の16年ぶりの出場の夢は散ってしまったが、いつしかまた甲子園での勇姿を見てみたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                 おわり

 

 

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