宮崎県なのに福島とはこれいかに?

おはようございます。

篠山です。

 

今日の常陸の国水府地区は小雨が降っており、風も強い一日です。

梅雨ももうそろそろ終わりのこの時期に第101回全国高校野球選手権大会茨城予選も昨日幕を開けました。

昨年観戦した玉造工業は一回戦の開幕戦で江戸崎総合に完敗しました。

一度でも観戦した高校がでると応戦したくかるのが心情です。

 

今年は常総学院に三連覇を狙う土浦日大、選抜出場の石岡一高と春を制した藤代、そして県北の雄明秀日立、日立一高、最後に古豪復活の水戸商業がどのような戦い方をするのか注目される。

 

今年は例年と違い令和最初の年で、しかも地元茨城で国体が開催いされるため、優勝チームは国体への出場権も与えられるという、特異な年であります。

 

各チームとも3年間の結集をすべて出しつくして戦ってほしいと思います。

 

さて時は1976年(昭和51年)の第58回全校高校野球選手権大会。

この年宮崎県代表として宮崎県立福島高校が甲子園へ初出場した。

福島高校は宮崎県大会を

2回戦 妻高校 11対0

3回戦 西都商業 6対3

準々決勝 日向学院 3対2

準決勝 延岡学園 1対0

決勝では優勝候補の日南高校を2対0で下して甲子園初出場を成し遂げている。

 

第58回大会は先に紹介している山梨県の塩山商業も出場した大会であり、ベスト4へは桜美林、PL学園、星稜、長崎海星が残り、決勝は史上初の東京V大阪対決でサヨナラで桜美林がサヨナラで初優勝を決めた年でもある。

 

宮崎県立福島高校は宮崎県串間市西方4015にあり、大正12年組合福島高等女学校として創立。

昭和18年に県立い移管し、23年学制改革で福島高校となる。

 

野球部は25年に創部して26年からの夏の県大会に参加。43年夏には県大会準決勝に進出した。

 

51年夏にエース森田芳隆、2年生の西村徳文(鹿児鉄道管理局→ロッテ)で甲子園へ出刃場。初戦で新潟代表の高田商業の打撃戦の末に7対10で敗れた。

 

相手より安打が1本多い13安打での敗退であった。

2年生の西村徳文は5打数0安打1失策であった。

 

当時宮崎県にあって福島高校なんでなんだろう?という不思議な気持ちがものすごく強かった。

純白胸に漢字で「福島」印象的だったな!

 

いつかまた甲子園へ帰ってくることを願っている。

 

(高田商業VS福島高校のスコアー)

 (高田商業の二番水野の打球が福島高校遊撃手川崎選手のグラブをぬけてゆく)

 (高田商業四番松田が左翼へ本塁打を放つ、三塁打一本出ればサイクルだった)

 

 

                                    おわり

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