京都府立桂高校、土佐高校の豪打に散ったあの夏の日!
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篠山鳳明
2019年07月06日 14:56 visibility8397
1975年、昭和50年私は高校1年生であった。
1974年、昭和49年中学3年生の夏休みを利用して初めて甲子園へ観戦したのはその丁度1年前で、大阪の親戚の叔母さんの家へ1週間程お世話になり、毎日甲子園へ通った。
銚子商業が念願の初優勝した年である。
1975年は高校で野球を始めた年であり、我が校も久々にベスト8迄進出したが、優勝候補の能代高校に準々決勝で0対8で予選でコールド負けした年である。
そんな1975年(昭和50年)第57回夏の高校野球で京都府出身で甲子園出場したのが京都府立桂高校である。
桂高校は京都府予選を
1回戦 水産高校3対0
2回戦 洛星12対5
3回戦 八幡3対0
準々決勝 東山4対2
準決勝 共栄9対1
決勝 宮津3対0と下して、あれよあれよという間に甲子園初出場を果たした。
この年は京都府では優勝候補の平安高校が2回戦で福知山商業に0対1で敗れる波乱があり優勝争いは混沌としていた。そんな中彗星のごとく現れ、代表の座を射止めた桂高校、後にも先にも甲子園出場はこの一回だけである。
京都府立桂高校は京都市西京区川島松ノ木本町27にある。
1948年(昭和23年)高校三原則にはかり、当時の京都府立京都第五中学校と京都府立向陽農業学校が一緒になり、京都府立桂高等学校として創立された。普通科・農業専門学科の併置校。
偏差値は44~55で京都府内では85位である。
有名人にはブラマヨの小杉がいる。
野球部は昭和24年に創部、1975年(昭和50年)エース今泉龍彦で甲子園初出場したが初戦で土佐高校の片田⇔伊藤の1年生2投手に散発4安打に抑えられる一方、今泉投手が土佐高校打線に毎回の17安打、特に土佐高校の三番打者の玉川寿には26年ぶりのサイクル安打を許してしまい、1対8という大差で敗れてしまった。
最終回5番大西の三遊間の安打で意地で取った1点である。
ちなみに土佐高校の玉川寿は慶応義塾大→日本石油に入り都市対抗でも活躍した。
京都府立桂高校、オーソドックスなユニフォームで胸に「KATSURA」いつしかまた甲子園で見ることはできるのであろうか?
(桂高校 9回裏意地で1点返す)
(土佐高校 玉川寿の高校生離れした完成された打撃フォーム)
(右中間ラッキーゾーンの本塁打を放ち三塁を回る玉川)
おわり
- 事務局に通報しました。
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