山口県立防府商工この輝かしき過去の栄冠
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篠山鳳明
2019年08月16日 09:00 visibility7435
昨日は74回目の終戦記念日でした。
私はいつも考えさせられます。あの戦争って一体なんだったのか?
日本を不幸のどん底に陥れたあの戦争、翌、昔お袋から戦争の話を良く聞いたことがあります。
B‐29が和歌山県の那智の上空に来て焼夷弾を何十発も落として去ってゆく。
そのたびに空将警報が鳴り、近くの防空壕に駆け込むそんな生活が毎日続いたそうです。
やはり平和は何事にも代えがたい事だな!と改めて思っております。
さて昭和49年防府商業が選手権大会で甲子園へ初出場した。(過去選抜には3回出場でいずれも初戦負け)
防府商業は山口県防府市中央町3-1にある。
昭和4年防府町立商業高校として創立。19年県立防府工業学校に転換した。
戦後20年11月に商業科を復活して、翌21年には県立防府商業高校を再開。23年の学校改革で両校を統合して
県立防府工業となる。24年県立防府高校と統合して防府南高校となり、さらに25年には県立防府北高校と統合して
県立防府高校となった。
しかし28年に商業科が分離、再び防府商業高校として復活した。
平成24年機械化を新設して防府商工高等学校を併設して、平成26年商業高校を廃止して現在の防府商工となる。
創部は昭和5年の第13回選抜に出場したが初戦で中京商業に0対5と大敗。
43年選抜にも古谷利明→内藤一のバッテリーで出場した。甲子園では開幕試合で優勝した大宮工業に4回迄3対0とリードしていたが9回に追いつかれ延長10回4対5で逆転負けを喫し甲子園初勝利を逃した。
49年は井神国彦(専修大)と1番を打つ檜垣明のバッテリーで春夏連続出場で春は準優勝した池田高校(徳島)に1対3で力負けしたが、第56回夏の選手権大会では初出場ながらあれよあれよという間に決勝まで進出。
決勝では黒潮打線の銚子商業の打線に飲み込まれたが、見事な検討といえるであろう。
その時の戦歴は以下のとおりである。
2回戦 延岡高校7対0
3回戦 福岡第一10対3
準々決勝 郡山6対3
準決勝 鹿児島実業 2対1
決勝 銚子商業 0対7
決勝戦で強豪黒潮打線の銚子商業戦で我慢ずよく投げたエース井神国彦を姿が今でも目に焼き付いている
防府商工の復活に期待している。
(山口県の知り合いの方から送られてきた1枚の写真、当時現地は海星いや快晴だったそうです)
(第56回選手権大会 銚子商業戦で力投する防府商業井神投手)
(鹿児島実業の堂園投手が2塁牽制した送球をカバーリングしたセンターも後逸して重田がサヨナラのホームへ)
(鹿児島実業定岡が本塁へヘッドスライディングこのとき右腕を痛めマウンドを堂園へ譲る)
(準々決勝で奈良代表 郡山高校も粉砕)
(その時出場したペナントもう45年も月日が過ぎてしまい少し色あせてきている)
おわり
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