あぶさんの南海ホークス
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Mr.black
2014年05月16日 10:02 visibility3467
本日から3日間、「OSAKA CLASSIC」と銘打たれる「オリックスーソフトバンク戦」が行われます。(京セラドーム大阪にて)
オリックスは近鉄のユニ、ソフトバンクは南海ユニを着用。
どちらも1970年代前半のデザインです。
過去こういう復刻では私は基本的に近鉄グッズを買っていました。
しかし今回は思うところあって南海グッズを購入。それが下記の物です。
南海ホークスの復刻帽子。このデザインが使用されたのは1972~76年。野村監督の時代です。
近鉄ファンの私がなぜこれを手に入れたかというと三つ理由があります。
1.南海ホークス最後の優勝時のモデルであること
2.色調が歴代の中でも珍しいタイプであること
3.「あぶさん」入団時のデザインであること
南海ホークスとして最後の優勝は1973年(昭和48年)。
これ以降ダイエーに身売りするまで優勝はありませんでした。更に野村監督解任以後はBクラス常連の寂しい成績だったので、いわば「南海最後の栄光の記憶」として留めておきたかったのです。
そしてこのモデル、色調が独特なのです。
この写真だと「少しくすんだ黒」か「濃いめのグレー」っぽく見えていますね。しかし実際は「シックで濃いグリーン」なのです。
このデザインは子供の頃リアルタイムで見ましたが、当時も写真や遠目の映像だと「黒?濃いグレー?」と疑問でした。肉眼で直接見て初めて「グリーンだったのか!」と思うほどの色合いでした。
おまけにサブカラーも異色。金色か黄色に見えていますね。これもユニフォーム研究者・綱島理友氏によると「黄土色」だそうです。実際この帽子を手に取ると「黄土色」だと分かりました。
これは同氏の著書「プロ野球ユニフォーム物語」によると当時ピッツバーグ・パイレーツが着用していた「イエローカー」(おそらくカーキ色っぽいシックな黄色)を見て野村監督が採用したということです。
当時パイレーツが強かったのでそれにあやかりたいという気持ちがあったのでしょう。
プロ野球各球団の歴代ユニを見ても「黄土色」を採用したデザインはあまりないと思います。
↑ これは以前復刻させた南海ユニ。
南海ホークス球団最後のデザインですが、南海が通常使っていたのはこういうグリーン。あと印象に残るのは野村監督晩年のパステル調の明るいグリーンです。
それらに比べると異色ですね。これだけアップにしてもPCの写真ではグリーンと認識しづらい渋い色合いです。でも個人的には好きな色調です。シックなので私服に合わせて被っても違和感ありませんでした。
そして最後の理由、あぶさん。
「あぶさん」こと景浦安武が南海に入団したのは1973年となっています。つまり南海最後の優勝の年に入団したのですね。長いプロ生活のスタートはこのデザインから始まりました。
文庫本初期のあぶさん着用ユニは当然このデザイン。水島新司氏はカラー表紙でこの色合いを出すのに苦労したかもしれませんね。どんな色使いだったか文庫本をお持ちの方はよろしければ実際に手に取って確認してみてください。
ところでこのシックなグリーンデザインは1972~76年まで採用されました。
ただし1974年からは別なモデルも登場します。
南海は当時としては珍しくホーム・ビジターとも複数のデザインをあれこれ使っていたのです。シーズン中のマイナーチェンジも時々やっていたので綱島氏でさえ全容をつかむのが大変だったそうです。
1974年からは既述のパステル調のグリーンユニが登場します。そして私自身は1975年以降、パステル調グリーンユニしか記憶にありません。シックなグリーンユニは1975年あたりから使用比率が落ちたのかもしれません。
↑ パステル調グリーンユニ。これは1977年モデル。
このタイプで特に印象に残っているのはイエローのソックス。ストッキングは各球団様々な色を使いますが、その下のソックスはどこもほとんどがホワイトですね。
南海はこの点珍しくグリーンストッキングの下にイエローのソックスを履いていました。上の写真、見づらいですが右足首のあたりがイエローなのがお分かりになるでしょうか?
グリーンとイエロー、これはパイレーツの後で黄金時代を迎えたオークランド・アスレチックスのモデルから採用したのです。
メジャーの強いチームのデザインを取り入れてあやかりたい。当時の野村監督の「勝ちたい。優勝したい」という気持ちの表れだったのかもしれません。
南海最後の優勝。リアルタイムで見ましたが、はるか遠い記憶です。
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