高校野球古書Ⅱ

GWの中日です。

今年は茨城県の高校野球春季大会は無観客のため家でおとなしくしております。

 

茨城県は昨日夜雨が降りましたが今日は曇り空、絶好のウオーキング日和です。

そろそろ行こうか?コロナ禍で太った体を絞らなければ!

 

コロナにかかると持病もと肥満は重症化になりやすいような?

また昨日庭の草を刈った、息がゼイゼイ。体力が落ちてます。

 

さて古書第二弾です。

 

高校野球の父といわれる「飛田穂洲翁」についての書籍です。

飛田穂洲翁はウイキぺデイアによると下記の様経歴が書かれている

 

茨城県東茨城郡大場村(現在の水戸市)出身。父親は、大場村初代村長でもある豪農であった。水戸中学校(現在の水戸第一高等学校)卒業後、1907年(明治40年)に父親の反対を押し切って早稲田大学専門部法学科に進学、野球部に入部する。この時、保証人になったのが小説家の押川春浪であり、下宿で同室であったのが針重敬喜であった。

野球部では二塁手としてプレー、5代目主将にも選ばれた。しかし1910年(明治43年)、来日したシカゴ大学に大差で6戦全敗。この責任を取り引退、コーチ役となる。翌年には、野球部のアメリカ遠征を巡っての内紛から一時早稲田をやめ、明治大学へ転校するが、後に復学した。又、この頃、在学のまま報知新聞で記者を務めている。

 

いずれにしろ茨城県の高校野球の球神、アマチュア野球の五大偉人の一人として今でも語り継がれている。

(因みに茨城県五大偉人アマチュア五大偉人は、飛田、砂押、石井藤吉郎、石井連蔵、そして木内幸雄である

→私が勝手に決めました)

 

昔野球をやる少年は不良だ!とか偏見を持って見られていたようであるが、飛田は水戸中(水戸一高)から早稲田大学へ進学し、安部磯雄先生の指導を受けて後の早稲田大学野球部主将を務めた。

 

「一球入魂」は飛田翁の代名詞となっている。

 

飛田穂洲翁菩提寺の現水戸市(旧常澄村)にある東光寺の御朱印は「一球入魂」という文字が書いてあるそうである。

 

願わくば飛田翁の銅像が以前は飛田が通った現常澄中学の近く大串公園の中にあったが、現在はノーブル水戸スタジアムに移設されてしまった。

 

これは個人的には是非もとに戻してほしいと思う。生まれ故郷の常澄にあってこその飛田翁の銅像なのである。

 

また下記の甲子園優勝校物語と甲子園優勝投手物語も購入した。

今少し戦前戦後含めた高校野球の歴史を振り返ってみたいと思う。

 

 

 

                                    以上

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