土浦中学

土浦市は

茨城県発足から県南地域の商業・行政の中心的な役割を担っていた町である。1918年(大正7年)の筑波鉄道(旧:関東鉄道筑波線、1987年廃止)の開通、東隣の稲敷郡阿見村(現在の阿見町の一部)に1929年(昭和4年)に海軍航空隊が設置されたことなどによって交通の要衝となり、料亭や遊廓その他休養施設が多かったこともあって、終戦に至るまで海軍の町(軍都)でもあった。

 

東京から北へ65㌔首都圏へのベットタウン化が進み、風光明媚な日本第二の湖、霞ヶ浦もあり季節になると、昔ながらの帆引き船も湖上を賑わせる。

 

そんな土浦市に土浦一高がある。

SGH(SuperGlobalHigh School)である土浦一高は茨城県内での偏差値では、水戸一高に次ぐ72で茨城県内2位である。

 

そんな土浦一高も1957年(昭和32年)第39回全国高校野球選手権大会に初出場した。

 

一回戦 県和歌山商業 4-0

二回戦 岐阜商業 0-2で敗れている。

 

これが後にも、先にも一回だけの甲子園での戦歴である。

 

昨日、御徒町で大学の時の友達と43年ぶりに一献を傾けた。

その前にちょっと神保町の古本屋へ。

 

私の視線は、この本一点に注がれてしまった。

本も私に、アイ・コンタクトをしていたようである。

こうゆう本(非売品)には本当に惹かれてしまう。

 

土浦一高といえば、ご存知木内幸男さん、安藤統夫さんの母校であるが、あのハンターチャンスで有名な柳生博さんの母校でもあったんですね。

 

江戸時代藩校からの流れを汲む、歴史的由緒のある土浦一高。

 

この本で、これから土浦一高(土浦中學)の野球部の歴史のページをゆっくりと、開いてゆきたいと思います。

 

☆文章構成上、失礼ながら敬称は略させて頂きました。

 

 

 

 

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