思い出。

自分が怪我をして 思い出した人が居ます。

私が小学二年生のころ 向かいの一軒家に 引っ越してきた、渡くん。

親が少年野球の監督で アニキと共に リトルリーグで 野球三昧の少年でした。

朝早い時間から練習の為に 出て行き、夜も 親父とキャッチボールや素振り。

ナイターで 巨人戦があるときは 親子で観戦。


中学では エースで五番でした。

性格も良く、運動神経も良く 脚も速いので 中学生にして 彼女も居ました。

腕力と勉強以外は 完敗でした。(笑)


暇な時は キャッチボール等して遊んだりしましたが、もう、球が怖い怖い…。[s107]

自分は中学時代 たまたまスピードガンで測った時は サイドスローで90キロでしたが、多分彼は 120キロは楽勝で 出ていたと…。

おりやん監督なら 判ると思うけど ヒカルくんの球 受けてて 同じだと思ってました。

(ヒカルくん=長野の強豪高校のピッチャーやってた子)


そんな彼は 順当に 当時も 強かった

「日大三高」

に野球推薦で行きました。

片道2時間半 毎日通い、練習して、23時に帰る彼は、歩いて10分の アホ都立高校に通う、園部から見たら立派の一言でした。


そんなかれも 肩を壊して、野球が出来なくなり、淋しさを紛らわす為なのか、一人暮らしの彼女の家に住み始め、会わなくなりました。


風の噂では 今は結婚して スーパーの店長だとか…。


中学一年の時、自殺して死んだ私の親父の形見は キャッチャーミットで これで彼の怖い球を受けてました。


今 キャッチボールで 恐ろしい球 受けるのが 好きなのも キャッチャー好きなのも この頃の影響が大きいんだと思います。


二年前 たまたま 野球を始めた時は この頃の思い出で いっぱいでしたから…。


あの頃の思い出 無かったら 野球 してなかったかも知れません。


多分 かわらず ワインとウイスキーと バーボン 飲んだくれていたでしょうね。(笑)


35歳で モトクロス出来なくなって 酒が趣味になってましたんで。(笑)


怪我がきっかけで 羨ましい程の才能 持ちながら 野球を辞めてしまった 渡。

出来ることなら また キャッチボール したいなぁ。[s410]

渡の親父の経営する 酒屋は大田区にあるから 行って連絡は 取れるはずなんで、落ち着いたら 顔 出して見ようと思ってます。


んで 言ってやるんです。

「バッテリー 組もうぜ。[s421]」

だから とっとと怪我 治して 今出来るトレーニングは続けて ちゃんとチームのキャッチャー出来る様になりますよ。(笑)

あ、もちろん チームの練習や試合には 参加します。

やれる事 ありますからね。[s410]

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