また、面接試験の怪(後編)

「おもしろさ」を他人に気付かせてもらい「好きになる」ことはあるでしょう。それは、「好きである対象」がそのものの中に存在することを識らず、外部刺激によって、それを識ることになったからです。「好きである対象」が、時間の経過を伴う変化は、今は話題の外に置くとして、そもそも、外部刺激を受ける前から、その対象は「好き」なのです。

こう考えると、「数学を好きにさせる」などということは欺瞞になりますね。人の好き嫌いが、そんな意図も容易く操作出来るなら、今頃、私は女性にモテモテの人生を送っていますよ(笑)

数学のある側面に、本来的に魅力を感じる人間が、それを数学に見いだせないでいるところに、刺激を与えることで、それに気付かせることは確かに出来きますね。ですが、数学の様々な側面のいずれにも魅力を感じ得ない人間に、いくらその魅力を力説したところで、それは徒労に終わるのでしょう。人の嗜好とはそういうものではないでしょうか?

況してや、知的興味が旺盛な人間って、そんなにはいません。
それに、学部の数学科ならいざ知らず、いくら私学とはいえ、中学高校でクラスの半数の生徒が数学好きなんてどうですか?どう考えてもキモいでしょう?(笑)この広い世界、どこかにそんな学校があったとしても、それは稀なケースで、それを普遍化しようなんて、欺瞞もいいところです。

そう、件の教科主任の先生、生徒に数学を好きになってもらうために、どのような工夫をしているかとお聞きになるから、そんなことしたことがないと答えておきました。

この時点で、ヤル気がなくなっていたので、ちょっと挑発的な言葉を投げ掛けておきました(笑)

私の方法でやらせてもらえれば、確実に学力は向上するし、多くの生徒が“数学の授業”は好きになりますよ、と・・・・
まぁ、授業について来られればという但書がつきますがね。

私は、数学を好きになってもらおうなどとは考えたこともありません。生徒に堅実な生活実戦をさせれば、自然と自ら学習するようになるし、学力も当然向上します。そして、殆どの生徒は“数学の授業”が好きになります。

ただ、私は今どきの軟弱な生徒や親にしてみると恐ろしく厳しいらしいです。
例えば、生徒に挨拶をするように指導するとき、今どきの教員は、教員の方から声を掛ける(挨拶をする)なんて、どれだけバカになったら、そんなこと言えるのかっていうぐらいなことを言います。

たとえ、それで挨拶するようになっても、大きな勘違いをしてしまうんですね。いつも、周りの環境の方から自分に近づいて来てくれると、いつも期待するようになってしまいます。社会に出て、そんなことまずないですよね。
なので、生徒に挨拶するよう指導するなら、私の方から挨拶などせず、ただ「挨拶をしろ!」と言うだけです。そのように厳しく指導して堅実な生活実戦をさせるというようなことを答えておきました。
先方から断って来るように(笑)

まぁ、ちゃんとものを考えられるなら、現代の高校教育までは、「教育とは計算された威し」であると言えば解っていただけるでしょう。

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