「個性」という名の大罪












どんな奇抜な格好をしても、どんな奇異な行動をとっても、それは、その人の個性であって素晴らしいことなのだから認めなくてはならないという風潮が、ちょっと前には強かったよね。最近はどうなんだろう?

今では、みんなが変なので(笑)奇妙に見えたものもそれだけじゃ個性だなんて言えなくなったのかな?



しかし、こんな意味で奇抜な格好、奇異な行動が個性だと言えないのではない。そんな表面的な格好、行動でしか自分を表現できない彼らは無個性な人間なのである。



そのような奇抜な格好や奇異な行動を他人との差異という意味で言うなら、あるところまでは「個性」とも言えなくはない。しかし、そんな言い方をするとは、何とも節操のない話だよね( ̄〜 ̄)ξそもそも、個性などというものは、自らわざわざ表現する必要のあるものではないだろう。

そんなこともわからない日本人が「個性」という言葉を口にするのを聞くと、不愉快を通りこして不快である。個性というのは唯一無二ってことでしょ?

誰にも真似できないようなスキルを確立して結果を出すと、日本人というのはそこに何とか学ぼうとする姿勢を見せることはせず、根底に僻みややっかみが渦巻いている「黙殺」という手段に出るよね。だから、有能な人材の海外流出が止まらないんだよ。ということすら認識していない国民総バカ殿様なんだな( ̄〜 ̄)ξ



そもそも、「個性」という言葉を必要以上に口にする人間に限って個性がなく、ただ、自分の身勝手を押し通したいだけだったりする。本当に個性的な人間は自分が個性的である自覚が薄いものだよ。そして、個性などということについて考える必要もないので、「個性」という言葉も口にしない。そういうもだよ。











♪GTR “GTR” (1986)











































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