川藤幸三さんが阪神OB会長に

 (写真と記事は関係ありません)


 


川藤幸三さんが阪神タイガースのOB会長に就任されることになりました。


 


 川藤さんの阪神への熱く、深い思いは誰もが知っています。


 


 まさに適任でしょう。


 


 川藤さんは僕が高校生の時、僕らの高校に講演しに来て下さいました。


 


 僕らの高校と川藤さんは特別深い縁があるように思えないのですが、最近調べてみて、僕らの高校の卒業生に阪神タイガースOBが二人おられることを知りました。


 


 その縁だったのかも知れません。


 


 川藤さんの講演で今もはっきり覚えている話がふたつあります。


 


 それは、川藤さんを野球に誘ってくれた人が山口良治さんだったということ・・・そうです!!伏見工業高校ラグビー部の名監督「泣き虫先生」こと山口監督です。


 


 山口監督と川藤さんは同じ中学の出身だったのです。


 


 夏休みになると当時大学生の山口監督が自分の母校の野球部を指導にこられたそうです。


 


 山口監督がつけて下さったその厳しい練習によって川藤さんが野球に対して誰にも負けない情熱を持つようになったという話でした。


 


 ラグビーの山口監督が中学時代は野球部だったとは意外でした。


 


 でも、やっぱりどんなスポーツに取り組んでも熱血なのですね。


 


 そして、もう一つは川藤さんがいわゆる「ZONE」に入った状態になった話でした。


 


 川藤さんは確かに「ZONE」という言葉をその時は使っておられませんでした。


 


 しかし、自分が絶好調という言葉ではまだ言い足りないぐらいの神懸かったような境地に立てたことを神妙な表情で、でも力を込めて語って下さいました。


 


 その状態になった時期は二度あって、一度は高校3年生の時。


 


 そして、もう一回は阪神タイガースを引退する1986年の春だったと川藤さんは語って下さいました。


 


 その時、川藤さんは打席に立つと相手投手の投げる球種が分かり、球の軌道がはっきり見えた・・・と。


 


 実際、川藤さんは1967年に若狭高校のエースとして春夏連続の甲子園出場。


 


 そして1986年は「ZONE」に入っていたオープン戦で2本塁打。


 


 シーズンでは5本塁打、14打点、打率.265で生涯唯一のオールスター出場。


 


 そして、この時、なぜ自分が「ZONE」に入ることができたいう点について


 


 「自分のためではなくチームのために一身を捧げようという気持が究極まで高まっていくと、不思議に雑念が消えて信じられない集中力が生まれた」


 


 というような内容を語られました。


 


 僕はその時まで川藤さんと言えば「打撃だけ非凡な人」というイメージでした。


 


 でも、エースとして甲子園の土を踏んでおられたことにまず驚き。


 


 そして、「ムードメーカーで自分のことよりいつもチームのことを考えている人」という「川藤幸三」像を勝手に描いていたのですが、やはりプロ野球選手の当然の性として自分の個人成績(即ち代打成績)を気にしておられたことに意外さを覚えました。


 


 それをファンの前で告白できる裏表のなさはさすが豪傑と言うべきか。


 


 また、本当に阪神と言うチームを愛している自負があるから言える言葉だったのだと思います。


 


 と、いうわけで、僕は川藤会長には大いに現役選手、阪神球団に愛ある苦言を呈し、阪神が素晴しい野球をするチームになるように支えて行って頂きたいのであります。


 


 川藤さん、よろしくお願いいたします。


 


































































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