1991年 広島カープのリーグ優勝

 

 今年のクライマックスシリーズ、好きな阪神は良いところなく敗退しました。

 

 

 でも、広島がクライマックスシリーズに出場できて、最後に巨人と戦ったことは本当に良かった。

 

 全然悔しくないと言えば嘘ですが、自分が子供のころ強かったカープが帰ってきた気がして嬉しかったです。

 

 僕は昭和50年生まれですが、少年時代から大学2年頃までのカープは本当に強くて渋いチームでした。

 

 僕は関西生まれの関西育ちですが、親世代はカープファンが多く(山本浩ニさんや衣笠祥雄さんと同世代だからでしょうか)、周りの友達も赤地に紺で「C」のマークが入ったカープのキャップをかぶっている人が多かった。

 

 「広島ファン」と言えば「野球を知ってるな」という感じが子供心にもありました。

 

 そのカープの1991年の優勝(132試合74勝56敗2分 勝率.569)は印象深く覚えています。

 

 なぜか?

 

 全然打てない印象のチームでだったのに優勝したからです。

 

 事実、その年の広島はチーム打率.254(4位)、総得点516点(5位)、チーム本塁打数88(5位)と御世辞にも打てるチームではありませんでした。

 

 しかし、80年代から「投手王国」と言われた投手陣は例年以上に素晴らしく、240イニングを投げて大車輪の活躍をした佐々岡真司投手の17勝を筆頭に、長年チームを支えた3本柱の川口和久、北別府学、大野豊の各投手も実力を発揮。

 

 これに加えて、特筆すべきと思うのは実績あるかつての新人王川端順や、金石昭人、紀藤真琴の各投手はともかく、石貫宏臣、足立亘などの若手投手が中継や抑えの役割を大事な場面で果たしていたことです。

 

 これを受けていたのが後に監督も務めることになる名捕手達川光男。

 

 内野手、外野手も大砲こそいないものの、攻守に堅実な選手が揃っていました。

 

 野村謙次郎、正田耕三、山崎隆造・・・と並べて行けば納得の顔ぶれだと思います。

 

 プロ2年目ながら128試合に出場した前田智徳選手や11本塁打ながらチーム最多本塁打を放った江藤智選手の存在は野手陣の世代交代が実に上手く行っていることを感じさせました。

 

 

 その年のセリーグは中日が春から快調に首位を走っていましたが秋の気配漂う頃から失速。

 

 辛抱を重ねてきたカープが最後に「投手中心に守り勝った」という感じの優勝でした。

 

 これ以降、カープがかくも長き低迷にあえぐとは誰も思わなかったでしょう。

 

 先ほど、特筆すべき・・・と書いた石貫、足立の両投手はこの91年の活躍以降は伸び悩み、移籍するなど復活を模索しましたが果たせず若くして引退。

 

 低迷には様々な要因があり、それだけが原因でないことは明らかですが、将来を背負う若手が出てきてこれから次の黄金時代到来・・・と球団も期待していたと思われるだけに惜しまれます。

 

 来年以降、カープは今年のクライマックスシリーズ進出で得た有形無形の財産を活かして飛躍するのか、それとも歴史は繰り返すのか・・・。

 

 注目されるところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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