ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.335

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    2025年02月24日 10:13 visibility34

南 雄太(みなみ ゆうた)

国籍 日本

生年月日 1979/9/30

出身地 神奈川県川崎市

身長/体重 185cm/78kg

ポジション GK

利き足 右

代表デビュー なし

主な出場大会 WY(1997年・1999年)

 

プレースタイル

抜群の安定感と的確なポジショニング、コーチングを武器とするゴールキーパー。一方で集中力が切れてミスを犯すこともある。

 

経歴

幼稚園年長の時にサッカーを始める。中学時代は読売ジュニアユースに所属し、その後静岡学園高校へ進学。すると高校1年の時には正GKとして全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献。2年の時も全国高校サッカー選手権大会でベスト4に進出し、高校3年の時にはU-20日本代表に飛び級で選出され、ワールドユースでも正GKとして活躍した。

 

高校卒業後は柏レイソルに入団。すぐさま土肥洋一から定位置を奪うと、プロ1年目となる1998年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出され、1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに2大会連続で出場。見事守護神として日本初となるFIFA主催の国際大会での決勝進出に貢献。しかし、以後はキックの精度や集中力に欠ける部分を指摘されることも多くなり、シドニー五輪一次予選を最後に曽ヶ端準に正GKの座を奪われU-22代表から遠ざかり、五輪本大会は落選した。

 

2001年にはプロ入り後一度も警告を受けていない点が評価され、Jリーグアウォーズでフェアプレー個人賞を受賞。2001年11月には、イタリアとの親善試合前に日本代表GK楢﨑正剛と川口能活が負傷したことから、急遽試合当日にA代表への合流を要請された。しかし、A代表デビューは無く、2006年には柏がJ2に降格し、キャプテンだった明神智和が移籍したことで新キャプテンに就任。チームをしっかり牽引し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。2007年はリーグ戦33試合に出場するなど正GKとしてチームを支えていたが、2008年シーズン途中に横浜FCから加入した菅野孝憲にポジションを奪われ、出場機会が減少。2009年のオフに経費削減の目的もあって契約満了で柏を退団した。

 

2010年にはJ2のロアッソ熊本に移籍。すると移籍1年目は開幕からレギュラーに定着し、自身初となる公式戦(天皇杯含む)全試合フル出場を果たした。2011年には自身の意向によりキャプテンに就任。天皇杯は岩丸史也に譲ったが、リーグ公式戦は2年連続で全試合フル出場した。その後も正GKとして熊本を支えていたが、2013年12月には4年間所属したロアッソ熊本を退団し、J2の横浜FCに移籍。移籍2年目までは正GKとして試合に出場し、2016年9月に行われたJ2第33節讃岐戦では史上28人目となるJ2通算300試合出場を達成。しかし、2016年にはシーズン途中若手の渋谷飛翔にポジションを譲る機会が多くなり、渋谷が退団した2017年には高丘陽平によって完全に正GKを奪われしまいリーグ戦1試合の出場に終わった。

 

高丘が去った2018年も辻周吾やジェフ千葉よりレンタル移籍で加わった山本海人とのポジション争いとなったが、2人を上回る25試合に出場し正GKを奪還。2019年は竹重安希彦にスタメンを譲ることもあったものの、33試合に出場。4年ぶりに30試合以上出場をクリアし、クラブにとって13年ぶりとなるJ1復帰に大きく貢献した。2020年は日本代表経験もある六反勇治が加入し、激しいポジション争いを繰り広げた。六反に出場数では負けるも12試合に出場し、出場した試合では好セーブを見せるなどの活躍を見せた。

 

2021年シーズンも開幕戦は先発の座を六反に譲ったが、J1第3節浦和戦でリーグ戦初出場を果たし、以降も出場を続けていたものの成績不振により下平隆宏監督が解任。そして新たに監督に就任した早川知伸新監督が若手の市川暉記を起用したこともあって控えに降格した。同年7月には大宮アルディージャへ期限付き移籍で加入。大宮加入後は、自身加入までポジションを争っていた笠原昂史や上田智輝を抑えてレギュラーに完全定着。そのままポジションを奪われることなくシーズンを終え、19試合に出場。シーズン終了後、大宮へ完全移籍。2023年10月には同年をもって現役を引退することが発表された。最終節の東京ヴェルディ戦に先発出場するも敗戦。プロデビュー戦の相手も、引退試合の相手もヴェルディという奇縁で現役生活に幕を下ろした。

 

現役引退後は横浜FCフットボールアカデミーサッカースクール GKクラスコーチに就任。2024年12月にはJリーグでは初めてとなるゴールキーパーとしての引退記念試合がNACK5スタジアム大宮で開催された。そして、現在は流通経済大学付属柏高等学校サッカー部のゴールキーパーコーチを務めている。

 

代表記録:なし

 

皆さん、おはようございます!

今回は引退選手の紹介でJリーグ通算666試合の出場数を誇る守護神南雄太氏です!

 

南氏は幼稚園年長からサッカーを始めましたが、当初はFWをやっていたとのこと!

しかし読売ジュニアユースの入団テストの際にFWよりGKの方が受かるのではないかという事でGKで受けたら合格したとの事!

また中学時代までバスケもやっていて、一時期サッカーをやらずバスケを優先してやっていた時期もあったとの事!

 

また南氏と言えば不名誉ですが「伝説のオウンゴール」で有名です^^;

2004年の5月に行われたアウェイの広島戦でキャッチングしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、真後ろの自陣ゴールにボールを投げ入れてのオウンゴールという失態を犯してしまったとのこと。(引退会見で本人が語ったところによれば、DF中澤聡太が「あっちがフリー」と指示したのでDF近藤直也に投げようとしたところ、広島の選手が詰めてきたので投げるのを止めようと思ったら手からこぼれたとのこと)

 

また当時はSNSが流行っていなかったので、今だったらかなりXやインスタで叩かれて、下手したらそれに病んで良いプレーができなくなるというパターンがあるかもしれませんね^^;

 

南氏曰くSNSが流行ってなくてよかったとの事(笑)

ただ引退試合ではその伝説のオウンゴールを演出してファンに笑いを届けました!

 

その南氏は今では横浜FCのアカデミーのGKコーチをしたり、また流経大柏でもGKコーチを務め、同校の全国高校サッカー選手権大会準優勝に貢献しました!

 

ぜひ今後もGKコーチとしてGKの地位向上に向けて頑張ってほしいと思います(*^▽^*)

 

頑張れ!南!

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