
ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.355
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2025年08月12日 08:51 visibility62
山瀬 功治(やませ こうじ)
国籍 日本
生年月日 1981/9/22
出身地 北海道札幌市南区
身長/体重 173cm/70kg
ポジション MF(SMF・OMF)
利き足 右
代表デビュー 2006年8月9日トリニダード・トバゴ戦
主な出場大会 WY(2001年)
プレースタイル
抜群のテクニックと力強いドリブルを武器とするアタッカー。またMFながら得点能力が高く、強烈なミドルシュートで得点を狙うこともできる。
経歴
弟は元プロサッカー選手の山瀬幸宏、父はサラエボ冬季五輪にバイアスロンで出場した山瀬功。5歳の時にサッカーを始める。小学校の時はSSS札幌サッカースクールに所属し、小学校を卒業してすぐにブラジルに2年半ほどサッカー留学をした。中学3年の時に帰国すると、中学卒業後は北海高校にサッカーで推薦入学。高校1年からメンバー入りをすると、高校3年の時にはコンサドーレ札幌の練習に参加し、同年に特別指定選手として選手登録された。
高校卒業後となる2000年にはコンサドーレ札幌へ入団。同時に北海高校から系列の北海学園大学経済学部に進学し、二足の草鞋を履く生活をすることになる。同年にプロデビューやプロ初ゴールを記録すると、札幌がJ1に昇格した2001年には主力としてリーグ戦24試合に出場し、チームのJ1残留に貢献。自身も同年のJリーグ新人王に輝いた。2002年にはクラブ初の日本人での背番号「10」を背負い、また副主将にも任命されるが、シーズン途中に右膝靭帯断裂の重傷を負った。
2003年には浦和レッドダイヤモンズに完全移籍。同年はクラブをナビスコ杯優勝に導くが、2004年はアテネ五輪のメンバーに落選し、クラブでは初のハットトリックを記録するなど活躍するも、今度は左膝靭帯断裂の重傷を負った。2005年には横浜F・マリノスに完全移籍。最初はヘルニアに悩まされたため思ったように活躍できなかったが、徐々にコンディションが戻り、2006年8月にはA代表デビューを果たす。2007年にはチームの副主将に任命され、Jリーグでは自身初の2桁得点を記録した。また同年8月のカメルーン戦では代表初得点を記録。2008年もコンスタントに代表に招集され、ボルニア・ヘルツェゴビナ戦では2得点1アシストと活躍していたが、同年5月から右踵を痛めてチームも失速。また自身も徐々に出場機会が減少。2010年には代表復帰を果たしたが、同年に戦力外通告を受けた。
2011年には川崎フロンターレに完全移籍。移籍1年目はリーグ戦全試合に出場したが、翌年には出場機会が減少し、2013年には京都サンガF.C.に完全移籍。2014年にはチームの主将を務め、2016年にはチーム最多の7得点を記録したが、ここでも戦力外通告を受けて京都を退団。2017年にはアビスパ福岡に完全移籍。ここでは開幕からレギュラーとして試合に出場し、3月に行われたJ2第3節京都戦では移籍後初得点を奪い、三浦知良に並ぶ18年連続ゴール記録を樹立するなどリーグ戦40試合に出場して6得点を記録。しかし、2018年シーズン終了後に契約満了により退団した。
2019年2月には愛媛FCに加入。5月4日の大宮戦では得点を奪い、20年連続得点を達成し、日本サッカー史上単独トップとなった。2020年9月に行われた町田戦では21年連続ゴールを達成し、2021年10月に行われたJ2第34節の琉球戦でもゴールを挙げ、連続ゴール記録を22年に伸ばした。12月には愛媛FCを契約満了により退団。2022年1月にはレノファ山口FCへ完全移籍。2月に行われたJ2第2節の秋田戦にて移籍後初ゴールを挙げ、Jリーグ23年連続ゴールを達成。2023年も9月に行われたJ2第5節の金沢戦でゴールを挙げ、24年連続ゴールを達成。2024年シーズンは、河野孝汰とともにキャプテンに就任したが、出場機会が得られない状態が続き、同年11月には同年シーズンをもって山口との契約満了を発表。最終的には、リーグ戦で2試合無得点に終わり、プロになって初めてのゴールがないシーズンとなった。また、24年連続ゴールの記録もここで途切れることとなった。
2025年2月27日には現役引退が発表され、J2第3節の札幌戦後に引退セレモニーが行われた。同年5月にはレノファ山口FCの「クラブ・コミュニティ・コネクター」(クラブアンバサダー)に就任することが発表された。
代表記録:13試合5得点
皆さん、おはようございます!
今回は引退選手の紹介で今年の5月に引退し、Jリーグ24年連続ゴールという偉業を果たした司令塔・山瀬功治氏です!
山瀬氏は札幌に入団し、2001年には新人王を受賞するなど活躍を期待されていましたが、その後は五輪メンバー落選や度重なる怪我に悩まされてなかなか活躍できずにいました・・・・。
札幌時代の恩師である岡田武史氏がいるマリノスに加入してからも10番を与えられましたが、加入当初はなかなかコンディションが戻らず目立った活躍ができずにいましたが、2006年シーズン中盤からはコンディションが戻り、A代表デビューを果たすと、2007年には自己最多となるリーグ戦11得点を記録しました!
しかし、2008年以降は怪我もあって失速し、2010年1月には代表復帰を果たすも、同年で契約満了によりマリノスを退団することになりました。
その後は川崎、京都を経てアビスパ福岡でプレーし、福岡の番組によく奥様の理恵子さんが料理研究家として出演していました(*^▽^*)
そして最後に山口でプレーし、昨年限りで山口を退団し、退団後も、新たな職場をリサーチし、あるクラブからは選手兼監督のオファーが来たとの事!
想定外のオファーに少しばかり興味を引かれたが、監督兼任は本意ではない。本人曰く「指導経験のない自分がやるとしたら、すべての力をそちらに向けないと不可能ですよ。そうなると選手としてのエネルギーを使えなくなり、現役を続けたいという根本の気持ちに反するのでお断りしたんです」とのこと。
そして今年2月に現役を引退し、5月にレノファ山口FCの「クラブ・コミュニティ・コネクター」(クラブアンバサダー)に就任が発表されました!
地元の北海道から結構遠くまで来た形となりましたが、ぜひ今までの経験を活かしてレノファ山口を盛り上げてほしいと思います!
頑張れ!山瀬!
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