サッカーというビジネス
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soultrans
2006年08月23日 02:14 visibility50
サッカーは、世界的な規模では、大きなビジネスとなっている。
スポーツが一大産業となったのは、1984年のロサンゼルス五輪がきっかけだといわれてる。
さすがにリアルタイムでこれを見てはいないけど、それ以降、オリンピックを凌ぐといわれる人気のある(世界的に)ワールドカップへ、ロサンゼルス五輪の運営ノウハウが浸透したのは、やはり1994年のアメリカ大会だったのかもしれない。
それまでサッカー後進国(といっても日本より強かったが、現在もそうだが、アメリカには4大スポーツなるものがある;野球、バスケット、アメフト、アイスホッケー。この4大スポーツのほかにもアメリカは多くの優秀な人材を様々なスポーツへ提供している一方で、サッカーにおける人材育成は比較しようもないほど乏しい状態にあった)だったアメリカでワールドカップを開催するというプランは、経済効果を見越してのものだったといえなくもない。広大な大陸を、縦横断し、初めてワールドカップ期間中に時差を伴う移動や、ヨーロッパのゴールデンタイムに合わせた放映のための日差しの強い日中に試合を開催するなど、 プレーする側には相当の負担を強いられたが、おそらくホスト国側としては、十分その役割を果たしたのではないかと思う。
ほんとにそれ以降かどうかはわからないけど、EUROの共同開催や、ワールドカップの共同開催など、経済効果を広く波及させたり、運営負担を分散させたりといういくつかの試みもこれまでに行われているから、いずれの大会も経済効果が薄かったということはないだろう。現に、ワールドカップにしても、オリンピックにしても、開催候補として手を挙げてくる国や都市は絶えない。
ユニホームにしてもそうだ。特にサッカー界にナイキが強力な進出を始めてから、スポーツブランドによるクラブの乱獲はとんでもない勢いで広がった。クラブチームであると同時にどのメーカーのスポンサーであるかが重要になってきた。ちなみに僕が高校のころ、ナイキのサッカーシューズは希少品で微妙品だった(僕もサッカーショップの福袋に入っていて失笑したもの。そのあと練習用のスパイクとして利用してました。一回だけ練習試合で使用したら、相手の選手に笑われた。。というぐらい「なし」な代物だった)。それが、気付けばアンリもロナウドも、古くはクレスポ、イブラヒム・バ(98年、ビーチサッカーのCM)とかも。アディダスもそういうアディダスチームを作っていったが、どっちもなんか壮絶すぎて、僕はやっぱりプーマあたりが好きかな(高校のときは、パラメヒコ愛用でした)と未だに思ってます。とはいえ、それ以前にはプーマとアディダスの確執もあったみたいだけどね。。
日本代表のユニホームは、アシックス、プーマ、アディダスの持ち回りだったのは記憶に新しい人もいるでしょうけど、ドーハ前後から、アディダス単独契約になったらしいです、たしか。ちょうどそのころだったのかもね、ナイキが本格的に参入するぞっていう時期は。それでアディダスが先手を日本代表に(他の代表にもそうしたのかもしれないけど)打ったのかもね〜。そう考えると、僕が練習試合のとき、対戦相手に笑われたナイキのスパイクがナイキサッカーの黎明期のレア品?と思ったりもするんだけど。。もう既にどこにいったか不明、というか多分穴開けるまで使ったと思うし、今思い出しても、あのフォルム、デザイン、どれをとっても、ナイキらしいものとはいえない出来だったな。。。
だって、マジかっこ悪かったし。。 なんてったって、福袋の商品だからね。。。。
あ、でも履き心地は悪くなかったかもしれない。練習で使用するぐらいだからね。。
なんか、ま、いいか、めちゃくちゃになったが。日記だし。
きちんとかけるようにします、今度は。
すいません。
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