荒削りでもいい、たくましく育て!!


どこか懐かしい響きのタイトルで始まりました。


昨日、某公園に家族で出掛けました。広い公園内には人工芝のサッカー場があり、当日中学生の、おそらくクラブチームであろう子供達が試合をしていました。

昼食の弁当を食べ終え、消化時間を利用して、20分程観戦しました。


昨年まで、私も地元のジュニアユースを指導していました。その時も感じたことですが、見ていて「ガムシャラさ」が見えないし、1つ1つのプレーに「必死さ」が伝わってきませんでした。

彼らはまだ成長過程の少年・少女達で、これから先の伸び代の方が大きく、将来へ大きな希望と野心を持てるそんな時期ではないでしょうか。


当然、身体の成長で難しい時期である事も承知しています。自分でも分からない状況で、身体の変化に伴うスランプや運動機能の低下など、我々大人が気付いてあげるべきことを抱える時期です。また個人差も大きく、全員を1列に並べ全てにおいて同じとも言えないのがこの時期の子供達です。


身体の成長に関しては、そのようなネガティブな事はありますが、心の成長はこの時期大きく成長します。ジュニア世代では理解できなかった事も、このジュニアユース世代では自分の考えを持って理解する、理解しようとすることができるようになります。


まだこの年代では、プレーは荒削りでいいと思います。ミスが多くてもいいと思います。

それよりも、1つ1つのプレーに全力を出し切る事、そしてそれがなぜ必要なのか、全員で同じ目標に向かって努力する事の重要さ、その為に何が必要なのか。

大人の考えを押し付けるのではなく、子供達が考え導き出す事が大事になります。


私が同時期の頃は、見学した試合のような感じだと、間違いなく試合後休憩・給水なしでダッシュさせられました。それも100mを30本とか50本。それは現代で言えばNGだと言う事は分かっています。しかし、試合後ダッシュできると言う事は、試合中に全力を出していない事を指導者から強調されました。


種類にもよりますが、ミスをして怒られた記憶はありません。

しかし1つのプレーに集中できていない時は、「鉄拳」が飛んできました。

指導方法は今の時代にマッチしませんが、今私が思う事は、この時期に養われたのは、1つ1つのプレーを必死に行う事で、それがいい結果に結びつかなくても、もう一度必死にチャレンジする事でした。当然技術・戦術練習も行われていましたが、そのベースとなる「心」に当時の指導者は重きをおいていたのだろうと感じます。


自分自身、1つ1つのプレーを大切にし始めたのは高校3年くらいからで、当時の監督からすると「まだ早い」らしく、よく「お前は恐さが無くなった」と言われました。そして「上手な選手と上手い選手は違うんだ」と言う事も教わりました。

更に、雑なプレーと荒削りなプレーの違いを気付かされたのもこの頃です。

こう考えると、中・高と指導者は違えど似たニュアンスを持った指導者に巡り会えた事は、自分にとって非常にいい時期をすごさせてもらったと思っています。


だからと言うわけではありませんが、私は昨日の試合に物足りなさを感じました。

ボールの展開は私達の頃より間違いなく上手です。しかし目の前の1vs1であったり、ゴール前の攻防であったり、技術以上に求められる「心の強さ」を見る事ができず非常に残念でした。それは必ずしも子供達だけの問題でもないと思いますが・・・。


サッカーを「楽しい」と思うジュニア世代

サッカーを「愉しむ」為の準備期間であるジュニアユース世代

サッカーを「愉しんで追求する」ユース世代


サッカーが上手くなるのは、その後でも十分なのではないでしょうか?


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