サッカー回想録 中学校編 その1


先週は仕事が忙しく、サッカーもラボーラもほったらかしでした。

昨日は久々サッカーの定期練習に参加しました。少し休むとダメですね・・・。足はつるし簡単なミスはするし、やはり「継続は力なり」ですね。


さて、前回の小学校編からの続きで本日は中学校編。少々お付き合い下さい。


私の通った中学校サッカー部は、当時の近隣中学と比較して少々変わったサッカー部でした。

そのサッカー部に我々1年生が22名加わり、当然地区大会決勝で負けた「あの」チームのメンバーも多くいました。私は小学校の頃、ソフトボールと水泳も掛け持ちしており、「あの」チームにも5人ほど仲の良い友達がいました。


まず入部して最初の行事はユニホーム製作でした。しかしこのユニホーム、学年毎に好きなユニホーム作れるんです。チームのユニホームは別にあり、大会前にレギュラーへ渡す仕組みになっていました。チームユニホームは当時のブラジル代表モデルでしたね。

で、私達1年生はどんなユニホームにしたかと言うと、中学校の校旗の色が濃い紫でしたので、何の柄も入っていない、背番号と学校名だけのシンプルなもの。それはなぜかと言うと、私の小学校のユニホームは他校からも注目されていたみたいで、「シンプル・イズ・ベスト」の精神?で色だけ変えたといった感じです。もちろんヤンガーでロンパンです(笑)


そしてユニホームが完成し、梅雨に入ろうかと言う5月下旬にある「事件」が起こります。

中学校が所属する地区で、毎年中体連前の強化フェスティバルのようなものがありました。時期的に、チーム作りの「最後の詰め」の時期での大会で、どの中学も優勝して中体連に弾みをつけたいところです。しかし我がサッカー部は毎年この大会にレギュラーは出場しません。なぜならどこも優勝を狙って来る為、激しい試合になり怪我人が出る可能性が高いからです。当時の監督のその思想は「異端児」扱いされていたみたいです。


しかし不参加ではいけないので、新1年生が毎年出場します。そしてこれが第1回目のセレクションのようなものでした。

新調した紫のロンパンのユニホームを着て挑んだ大会。他校は3年生までいるレギュラー組です。私達は「つい先ほど」まで小6のガキでした(笑)。毎年2回戦くらいで負けていたようですが、監督の安易な?考えを私達は大きく覆す事になります!


結果は3位。40チーム程参加する大会へ新1年で挑み、さらに昔は「ザラ」であったダブルヘッダーの日程をほぼ毎週こなし、心身共に疲弊しながらの大会でこの結果は自分達も満足しました。そしてチームも勝ち上がる毎に、士気が上がりいつか「優勝」という言葉を皆が口にするようになって行きました。その原動力は間違いなく「あの」メンバーでした。


大会序盤は「負けて当たり前」と自分達も思っていました。しかし1回戦で前回ベスト8をPK戦で破った事で、良い意味で「天狗」になれたんじゃないかと思います。

今風に言えば「俺達、いけるんじゃね?」みないな。

当然毎試合厳しい試合ばっかりでした。体力的に相手の方が鍛錬されており、当時の蹴って走るサッカーでは、それが顕著に表れます。しかしそこで負けなかったのは「あの」チームのGK・DF陣のお陰です。1年生ながら170cm超えと、DFとは思えないテクニシャンの2人がCB。そして、100mを12秒前半で走る右のサイドバック、更に身長は155cmくらいでしたがボール奪取能力に長けていた左サイドバック。極めつけはGK。ゴールが大きくなったばかりで違和感があったと思いますが、抜群のポジショニングでその心配は無用でした。3年生相手に最後まで拮抗したゲームができたのは、間違いなく彼らのお陰です。


そして中盤には、小学校6年生でクーパー走(12分間走の事です)を軽く3200m超す「化け物」がいました。彼とは水泳で一緒でしたが、水泳も早かったですね。本当に「縦横無尽」とは彼の事だと今でも思っています。そしてもう1人、1年の途中で野球部へ行ってしまいましたが「あの」チームの司令塔。彼をキャプテン翼で例えるなら「フル出場できる三杉淳」でしょうか。非常にボールタッチが柔らかく、視野も広く冷静で、絶対と言って良いほどボールを奪われる事はありませんでした。後に、彼が野球部に行ってしまった事は本当に残念でした。


この7人は突出していました。体格や体力では劣っていましたが、彼らのポテンシャルでそれを「御破算」にしてしまいました。勝ち進むにつれ、私達の「異端児監督」もちょっと真剣になって行くのが分かりました(笑)。ベスト8くらいまで行った時だったでしょうか、選手の口から「優勝」と言う言葉が出始めた時の、監督のあの「不適な笑み」は今でも忘れません(笑)


しかし、準決勝でついに力尽き・・・ しかもスコアは0-8・・・ 相手は最終的に優勝・・・

中学サッカー部で、初めて泣いた初の敗戦でした。

私自身は負けた悔しさよりも、CFとして1点も取れなかった事、そして小学時の私のプレーをあのメンバー達が評価してくれ、新しいCFという新ポジションに挑戦させてくれた信頼に応えられなかった事、全てにおいて悔しくてなりませんでした。


みんな感じる事は違っても、その悔しさは相当なものだったと思います。

今考えると、この条件でセミファイナルまで行けた事が奇跡に近いのかもしれません。しかしこの時はそういう冷静な判断はできない年頃なんでしょうね。

それが幸いして、3位決定戦では、中学時代のベストゲームの1つとも言える試合を演じ、なんと9-3という打ち合いを制しました。しかも大会前の優勝候補相手にです。

私事ですが、生涯唯一の「ダブルハットトリック」をしました。この時の事を当時の友達に言わせると、言い方は悪いですが、「お前、相手のDF殺しそうだった(笑)」と言うくらい殺気立っていたようです(笑)


チームとして3位ながら、我がチームからベスト11が異例の5人! 1年生がです。

GK、CB2名、そして化け物に、三杉淳。そしてちょっと自慢させて頂きますが、最終戦のWハットが利いて、私も6試合で14得点で得点王になりました v(^^)


この大会の結果が、この後の私達に試練を与えてくれました。

それは、良い意味でも、悪い意味でも・・・。


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