サッカー回想録 中学校編 最終回
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とめさん
2015年05月19日 21:36 visibility168
新人戦はいい成績を収められましたが、その後はパッとしませんでした(笑)
個人的には県トレセンメンバーとして九州大会へ出ましたが、ポジションは左サイドバック。
もちろん、合宿参加時はCFとしてでしたが、なぜか(未だに不明です)左サイドバックで四苦八苦した事を覚えています。
この頃マラドーナに憧れて、練習も左足1本で「遊んでいた」事が功を奏しました(笑)
そしてこれがきっかけなのか、3年の時にリベロへコンバートされました。
4-3-3が基本フォーメーションでしたが、これを攻撃時3-4-3へ変則させるため。
この経験は、その後の私のサッカー人生に大きな影響を与えてくれました。
成績は伴いませんでしたが、当時としては珍しいパスサッカーをしていました。
まだまだ精度が足りない分、いい時と悪い時の波が激しく、しかしそのサッカースタイルは間違いなく県NO.1だったと自負しています。
そして夏の中体連。当然狙うは県大会優勝です。
成績は伴わなかったと言いましたが、それでも常に県ベスト8には駒を進めていましたので、有終の美を飾るべく全員が気合を入れて挑みました。
地区予選は順当に突破!そして県大会もベスト4まで進みました。
しかし・・・ここで私達の中学での部活は終わる事になりました。
●0-1
グランドに倒れ込み思いっきり泣きました。それは他の仲間も一緒でした。
「勝者がいれば敗者もいる。今日はお前達が敗者になったけど、この悔しさを絶対に忘れるな」
監督の最後のその言葉、今考えると「常に勝者になれ!」ではなく、「負けた悔しさを知る事で相手を思いやれる」事を言いたかったのではないかと勝手に思っています。
勝って学ぶ事もありますが、負けなければ学べない事もあります。
どちらにせよ、そこで何かを学べたとしたら、それを真剣に一生懸命頑張っていたと言う証ではないでしょうか。
部活も終わりいよいよ進路を決める時期になりました。
私も含め数名は、サッカーの特待生の話も来ましたが、特待生として進学したのは6名中2名。私も特待を断り進学する事にしました。
進学先は、ちょっと普通の高校と違う学校で名物監督がいました。
そしてその進学先で、思いがけない偶然が・・・
- 事務局に通報しました。
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