二塁と三塁
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DIME
2009年10月04日 23:07 visibility169
道作さんが良く書かれている話題について。
巨人の優勝増刊号を斜め読みしていたんですが、文意が全く理解できない文章がありまして。
執筆者と野球、特に守備位置の位置づけについて基礎的な認識にあまりにも差があるということに気がつくのにちょっと時間が必要でした。ちなみに増刊誌ではなくて週ベの10月12日号だったんですが。
先に言いますと執筆者は、週ベ誌上で「記録の手帳」を連載し続けられている千葉功氏です。
で、これはどちらが正しいか正しくないかという話でもないです、詳しくは道作さんのところで関連するコラムを見ていただければと思いますが、データで見る限り「名前が同じだけで事実上全く違う守備位置となっている」というのが一番合理的理由である可能性が高いですから。
ではその部分を抜粋したいと思います。
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長嶋のいない巨人は三塁の後釜に苦慮していた。そこで白羽の矢を立てたのが、ブレーブスのデービー・ジョンソンである。
(中略)
しかし、ジョンソンは本来が二塁手。(中略)しかし、そのジョンソンに三塁を守らせるのは無理なもの。
※本文記事中のジョンソンの写真には「長嶋の後釜の三塁にすえられたことが誤算に繋がる」という注釈もあります。
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この文章に何の注釈もありませんでした。ものすごい戸惑いました、書いていることの意味がわからないんです。
何故、こんな齟齬がおきるのか、注釈が足りていないんですよ。私はこの文章には注釈が必要であると感じます、『当時のプロ野球では二塁手よりも三塁手のほうが守備での負担は大きかった(or大きいと考えられていた)』という注釈です。
千葉氏がおかしなことを言っているとか主張したいわけではありません。ただ、「野球は変化している」というのが、ここからわかるのではないかということです。
たぶん私と同世代からすれば、野球における守備的負担の認識は生まれたときから「二塁手>三塁手」だったのではないかと思います。
でも多分長嶋やジョンソンをリアルタイムで見てきた世代の認識ではそうではなかった可能性がある。
その世代だって、まさか今の野球に対してまでその認識を続けていることは無いと思いますが(この記事だって当時の話をしているだけであって、この内容だけで千葉氏は現在の野球でも二塁より三塁の方が守備的負担が重いと認識していると主張するのは論理が飛躍しすぎです)、やはり「そういう時代があった」という体感はあるのでしょう。
ただ我々には全くそれが無い。それが無いままただ「二塁」と「三塁」は昔からずっと今と同じものであるかのように認識しているから意味がわからなくなる。
いわゆる「戦争を知らない」ってやつでしょうか。その「戦争を知らない」すら知らない世代ですけど(笑)。
今の一般的な認識なら、こうではないでしょうか。
「木村拓也(脇谷亮太・寺内崇幸でも可)は二塁できるんだから、三塁は問題なく出来るさ」
これなら何の違和感もないのです。
それはつまり、今の野球はジョンソンや長嶋がいた頃の野球とは、少なくとも「二塁」と「三塁」の守備においては違うスポーツだった可能性がある、って事です。
「二塁手より守備的負担の高い三塁手」という認識は多分私はもう一生得られないものだろうと思います。
たぶん、今の世代なら上記の引用部分は全く逆だと思います。○○は本来が三塁手。そのジョンソンに二塁を守らせるのは無理なもの、だったら我々はその文章に何の違和感も無いでしょう。ちなみにジョンソンは本来が一塁手。そのジョンソンに左翼を守らせるのは無理なもの、だったら横浜。
少なくとも、この「ズレ」については私に近い世代からすればわざわざ注釈が必要なレベルだと思います。
道作さんが書かれていたことが、なんか良くわかった文章でした。
数字ではわかってはいたことですけれど、確かにそういう時代があり、そういう時代を見てきた世代の中ではそんなことわざわざ注釈を入れる必要なことですらないという認識が確かにあるのだろう、というのが実感できました。
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あ、あとどうでもいい話題ですけど1点。
個人的にはゴンザレスの考え方には賛同できません。「なんで5回なんだよ?」なんていいだしてるのと一緒ですって。
彼がかみついてる部分、現在の「勝利投手」の概念だって『昔からそういう決まりだったから』という域を超えるものでなく、投手の優劣を推測する客観的な基準とは全くなっていないんですから。
そもそもその程度の「勝利投手」の定義づけなんだから、その定義に反していない限りはどんな勝ち方してようが1勝は1勝。
「合理的理由が全く無くて意味不明だけれど、過去の経験則的に決まっていて、過去何十年もそのルールにのっとってそのシーズンの投手を比較してきた」ってところにあぁいうタイトルって価値があるんですよ。
ちなみに私からすれば何ら価値を見出せない、って意味でもあります。いいじゃん最多勝なんて。
あぁでもタイトル料とかかかってるのかなぁ。そうだとすれば理解できるんですが。
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