横浜ベイスターズ/1998年ベストオーダー

あまりに最近、野球ネタを書いていないので(笑)、ベストオーダーシリーズ第三弾!書きます


まだ記憶に新しい、横浜マシンガン打線にしました。




(遊)    石井啄

(中)    波 留 

(左)    鈴木尚

(二)    ローズ

(一)    駒 田

(右)    佐 伯 (中 根ー左投手の場合)

(三)    進 藤

(捕)    谷 繁



1998年、この打線で日本一になった、横浜ベイスターズ。

鈴木の首位打者を筆頭に、ローズ、石井、中根と3割打者で、投手の打撃成績を除けばチーム通算打率は2割9分を優に超えた。

(実は、翌1999年には野手のみで通算3割を超えている)


打線がたびたび猛爆発するようになった、1997年シーズン後半の頃から、「大砲ではない」「途切れずに打ち続ける」という二つの意味で「マシンガン打線」という名称がマスコミで使われ始める。



マシンガン打線誕生の背景には、伝統的なチームカラーも影響している。

歴史上、田代、ポンセなど僅かな例外を除き、このチームの歴代看板打者は桑田、近藤和、江尻、松原、長崎、高木豊といった巧打の中距離打者であり、外国人もシピン、ミヤーン、パチョレックなどのアベレージヒッターを入団させる傾向が強かった。


マシンガン打線時代全盛期のバッティングコーチであった高木由一も現役時代はそういった中距離打者の一人であり、同じようなタイプの打者の育成を最も得意とした。

したがって高木はマシンガン打線の生みの親とされているが、同時に球団の伝統を集大成させたとも言える。


1998年の勝因は、どこからでも得点できる隙の無い打線に加え、斉藤隆、野村、三浦、川村などの先発陣、島田直、五十嵐、横山、阿波野、関口などの中継ぎ陣、そして当時シーズン最多セーブ記録を更新した大魔神佐々木主浩、さらには駒田・ローズ・進藤・石井の内野守備力の高さも特筆すべきものがあった。


ただ、マシンガン打線の寿命は短く、2000年以降、進藤・波留・谷繁の移籍、ローズ・駒田の引退、さらに鈴木尚の打撃低迷などで、あっさり壊滅してしまったのは非常に残念であった。


※以上で、98年マシンガン打線を終わります。


備考になりますが、1998年に就任した権藤監督の元で優勝しましたが、マシンガン打線は前年までの大矢監督の遺産、と言っても良い、と思います。

私は、今季セリーグの中でベスト監督を選べ、と言われると迷わず大矢監督を選びます。

今年の乏しい横浜の戦力で、あわや3位に食い込もうか、という所まで追い込んだのは大矢さんの力による所が大きい、と。


今度こそ横浜フロントは、不可解な監督交代などさせず、大矢さんに数年は監督を任せるべきだ、と私は思って応援しております。以上!

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