選択の自由/不自由

事前の情報通り、今回のスターティングメンバーには、DFに菅、ボランチに高木が選ばれた。
このことが分かった瞬間、「あぁ有りそうなことだ」と全く驚きはなかったが、同時に「やっちゃったな」とも思った。つまり、理解はできるが、納得はできない、そんな布陣だったのだ。

まず菅のサイドバックだが、確かに昨年も一時期、そのポジションを彼が担っていたことはあった。そつなくこなしていた印象もあるし、不適とはいえない。
しかし今年の彼は、チームだけでなく試合上のキャプテンでもあり、攻守の要(ボランチ)を任されていたのではなかったか?
もちろん、サイドバックがゲームキャプテンをしてはいけないという訳ではない。キャプテンがポジションを変えることが疑問なのだ。
“王”は“歩”の様にも動けるけれど、あくまでも存在としては“王”であるべき。キャプテン“菅 和範”は取り換えのきく駒ではないはずである。

そして高木を守備的に起用するというアイデア。つい先日、岐阜のベースは「バランス感覚を備えた守備意識の高い選手を中盤に据える」ことだろうと書いたが、彼が適任だとは決して思えない。
過去にボランチも経験ずみとはいうが、率直に今の彼は攻撃志向が強いだろうし、前線でプレーするほど活きる選手ではないか。

以上から窺える岐阜の戦い方とは、初めにフォーメーションありきで、能力と調子を勘案してベターな選手を配置していくというもの。
近年のプロ野球には疎いので、家人が評した「なんだか巨人みたいだね」という喩えが適当かは分からないが、ホームランバッターを集めていた一昔前の読売ジャイアンツに、発想が似ていなくもない。
能力があればセンスなど関係なく、攻撃だろうが守備だろうがこなせるはずだ、とでも考えているのだろうか?


さて試合の前半。悪い予感は的中(?)し、ポジションをいじってきた岐阜は、攻守にわたり連携が拙く、あまり機能しているとは言い難い内容だった。
選手たちは能力以下のパフォーマンスしか発揮できず、見ている方もストレスが溜まる。そして38分、遂に失点してしまう。
この場面、岐阜の選手の何人かは動きが緩慢で、ゲームに集中しているようには思えなかった。

ハーフタイムで「修正しないとヤバいだろうな」とは思ったものの、その決断をするだけの覚悟が岐阜にあるのかは未知数だった。なにせ今まで、その手の選手交代を見た記憶がないからだ。
だが後半になって、岐阜はしっかりメンバーを入れ替えてきた。それについては素直に評価したい。
個人的に、野垣内に関しては同意するが、下げるなら染矢だと感じていた。しかし、代わったのは西川。結果を出せなかったのは彼だけのせいではないと思うのだが、割を食った感が強い。

その残った染矢の同点ゴールで、岐阜はなんとか勝ち点1を得た。負け試合を持ち直したのか、勝てるはずが自滅して苦しくなったのか。
現実に「たら・れば」はなく、いくら選択肢が多くても選ぶ道は一つ。そして、その結果には責任が伴なう。
FC岐阜のファンという立場に於いて、自分はなんと無責任で幸せなんだろうね。


この試合でひとつ良かったと思うこと。野垣内も本職の意地を見せることができ、自信がついたんじゃないかなぁ。

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