清武さんの思い出

  • テツ
    2011年11月22日 01:34 visibility167

まだ清武の乱と呼ばれる一連の騒動は終わりを見せていません。また清武さんも今後巨人に戻ってこないとも分かりません。ただ今回の解任で清武さんの一連の仕事も一段落ついたことですし記憶の新たなうちに私の個人的な思い出をまとめようと思います。


私が清武さんの名前を初めて聞いたのは一場騒動でナベツネ三山コンビが辞任した時だったと思います。確かその時は「ナベツネの腹心」みたいなキャッチフレーズだったような[d223]
テレビでみた時の第一印象は歯に衣着せぬ物言いをする切れ者であり、悪く言えば人情の薄そうな人だな・・・という感じでした。

その後ライブドアのNPB参入騒動があり、この時ホリエモンの前に立ちふさがったのが清武さんでした。たしかライブドアがネット販売していたアダルトソフトを掲げながらホリエモンを糾弾していた場面が未だに鮮明に記憶に残っています。この時テレビではホリエモンは救世主扱いでしたから清武さんはイチャモンを付ける傲慢なナベツネの手先みたいな扱いでしたね。しかしこの時から私は一本筋が通っている清武さんの言動に好感を持ち始めていました。

清武さんの代表就任に前後して巨人に暗黒時代が襲来します。私もこの頃は殆どの試合を見ていたはずですが正直ほとんど記憶に残っていません。同郷の林が頑張っていたことと清原がハイタッチ拒否してたことくらいかな・・・[d223]
この頃はスポ新、週刊誌、ネット記事などもほとんど見ていなかったので清武さんが裏でどんな努力を払っていたのか知る由もありませんでした。

久しぶりに清武さんの姿を見たのは2007年オフ、巨人がラミレスクルーングライシンガーを獲得した時でした。(2006は仕事が忙しく野球の試合や野球関係のニュースは全く見れていませんでした。)この年は巨人はリーグ優勝を果たしたものの屈辱のCS3連敗を喫した年でした。確か正月明けてすぐに清武さんがラミレスのビデオレターと一緒に現れラミレスの獲得を発表していましたね。まあマスコミはこぞって補強を批判してましたし内海や上原も半ば公然とフロント批判してたりしました。やれこれで巨人の若手は腐る、やれ生え抜きの冬の時代の到来だと言った論調でした。(同じ人が今は育成にかまけ補強をしなかったと叩かれているのですからマスコミもいい加減なものです。)ちょうど脇谷、矢野が久しぶりの生え抜きレギュラー候補で出てきた頃でした。

「育成と補強の両輪こそがチームを強くする」と清武さんが堂々と育成の巨人を口にしたのはこの時が初めてだったと思います。ほとんどのマスコミは補強すれば育成など出来るわけがないと冷笑してましたが私はこの言葉にビビッときてしまいました。
それまでのフロントといったら松井が出て行ったらその代わりにファーストしか守れないペタジーニを取ってくるような人たちでしたから、私が知るかぎりフロントの人間が初めてチームのビジョンをファンに示してくれた言葉だったと思います。マスコミがなんと言おうと、ファンがなんと言おうと一度この言葉を信じてみようと思いました。私がファームウォッチャー(なんて大したものでも無いですが)になったのもこの頃でした。

翌年、2008年はまさに清武さんのこの言葉を実証したような年でした。主力、補強組がほとんど怪我不調で離脱するなか19才の坂本、怪我から復活した亀井が春先のチームを引っ張り、越智山口が獅子奮迅の働きをし、加治前や隠善、寺内などが日替わりでヒーローになったり・・・そして終盤になってスンヨプ、小笠原、ラミレスなどの補強組も一団となって阪神に大逆転優勝するという夢の様な一年でしたね。ファームにも中井、藤村がでてきて更なる世代交代を予感させました。

この年から清武さんは更に育成に本腰を入れ初め、育成主体のチーム、フューチャーズ、シリウスの創設、育成部の創設、ファームとアマとの交流戦の増加、ジャイアンツ球場及び室内練習場の整備拡張等々数えきれない改革がありました。山口、隠善につづき松本、オビスポ、ロメロと育成から一軍戦力となる選手も続々と生まれました。即戦力として澤村長野が加わり、藤村が今年一軍本格デビューしましたが二軍にはまだまだ中井大田橋本リン笠原といった近い将来一軍での活躍が望める選手が沢山います。
長田が出てくるのを待って待って待ち疲れて遂に出て来ず、たまに二軍から出てくる選手と言えば20代後半の堀田川中だった時代とは隔世の感があります。

この頃週刊ベースボールに清武さんが寄稿していたコラムも大変興味深いものでした。巨人軍は非情か?という皮肉なタイトルとなり刊行されていますがアマゾンのレビューを私が書いてたりします。[d140]

今年は小笠原が全く戦力にならず、ラミレスも不調期が長く、その他新外人トレード選手が尽く役に立たず、清武さんが代表となってから巨人がドラフトや育成で取ってきた、育ててきた選手たちの実力が試された年だったと思います。そういう意味では今年の3位という結果は巨人というチームに地力がついてきたと私自身は評価しています。清武さん就任時は補強選手に頼り切っても4位、5位に甘んじていたのですから大変な進歩です。
2年優勝出来なかったのだからGMが責任をとれと言われますが、巨人のフロントの人間が優勝できずに責任を問われて辞めさせられたことはこれまで記憶にありません。(私の知らない過去にはあったかもしれませんが)ほとんどは単なる人事異動という形での交代だったと思います。そういう意味でも清武さんは巨人における初めての真のチーム総責任者であったんだと思います。

育成というのは時間がかかります。森野や広島の広瀬、嶋が入団から一軍の主力となるまで10年ほどかかったことを考えると清武さんが作ってきたシステムが機能したとしても本当の形になるまで更に時間がかかることでしょう。撒いた種が更に実を結ぶまで清武さんにはチームの方向性を示し続けてほしかったのですがそれはもう無理なようです。

本当の清武さんはキムタクの死に涙したり、上原清原と大喧嘩したり、二岡を泣くまで説教したりと私の第一印象とは遠い熱血漢だったようですが切れ者という第一印象は正しかったと思います。そんな人が激情にかられて、あるいは保身のために勝ち目のない戦いを仕掛けるとは思いません。必ずなにか目的、勝算があっての行動だと思います
一部のマスコミは清武さんの行動をファンを無視した独り善がりと批判していますがあえて私は巨人ファンの一人として清武さんを支持しようと思います。他の誰がなんと言おうと、今回の一連の行動を応援している巨人ファンがいるということを知っておいて欲しい、そう願います。

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