
2011年4月
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東研作
2011年10月13日 16:58 visibility40
4月は学生時代の同級生が次々と無職になったので、色々なところに遊びに行こうと積極的に打って出た。労働年数を40年として、自分が無職の期間が2年間だとしても、3人が同時に無職になる確率は2/40の3乗なので1/8000ということだから8000年に一度の珍事だったと調子に乗ったわけである。
平日の昼からパンダを見にいったり各種博物館美術館をガラ空きで楽しみつつ、夕方からは「美味しんぼ」に載った店だとか話題のガールズバーだとか、普段行かないところを楽しんだ。夕方から飲んでる人は人生を投げっぱなしジャーマンみたいに思っている人か、会社員というすごろくが間もなくあがりの人が多かった。思った以上に学生ぐらいの人たちは飲みに行かないもんだなと思った。
すっかり合コンなどのお誘いもなくこういう日々を過ごしてしまったのは今になって非常に悔やまれる。この頃ハマっていたものはiPhoneだった。
とはいえそろそろ就職もしないといけなくなったなあと思い、履歴書を書いて出して面接してという日々も始まっていた。なかなか決まらないという焦りもあったが、とにかく寝て起きて銀行口座を見ると国から金は入ってくるし、アルバイト先では芸能人と喋ったり役得でグッズをもらったり裏話ゴシップを堪能したりということもあり、思わずこんな毎日も悪くないと思ってしまうこの失業保険という仕組みは人をダメにするなと思います。
話が前後してしまうが、4月の上旬、職業訓練の授業中に池袋にある会社から連絡が入った。聞けば、内定が出た人が震災の結果辞退したのでまだ興味があれば面接を受けないかとのことだった。
出向いてみると、まずは会社の狭さに驚いたのと、対応したのが完全なるギャルだったのにもっと驚いた。面接はすでに慣れていたため滞りなく終わり、翌日には内定の連絡が来た。失業保険はまだ30日分も残っているし、民主党になってからは2か月分の追加まであるという。さあどうする?割り切って仕事する?もうちょっと無職を謳歌する?
それと同時に、地元での就職が可能な状況が出て来たのでした。何と東京で面接してくれるという上に、まさに9時~17時というグロンサン的な勤務時間と残業月5時間で実家から自転車で5分という好立地。テレビCMまでやっている会社のマーケティング職という超楽勝な仕事で、東京でウェブマーケティングをやってましたと言えば受かるだろうと踏んでいた。
ここで母に相談するというのが自分の残念なところなのですが、母の結論は「ガッチャメラ、エー!! ふざけんなオラッ! テメーは東京で働いてろ! いいか!俺だけ見てりゃいいんだ!アイム、チョーノ!」というものに非常に近かった。
親に煙たがられて実家から通勤というのも忍びないのと、内定出たと言ってしまえばそこで働けと言われるのも必定なわけで、内定をつつしんで受けることとしました。しかし、もうちょっと遊びたかったため、勤務初日をゴールデンウイーク明けの5月8日となった。
これが地獄への入り口だとも知らずに、とか言えればまだドラマチックなんですが、地獄というほどでもない、普通にキツい会社だった。その内実はまた次回。
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- 事務局に通報しました。
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