プロデューサーズ てかトルコ・ネタ コンティニュード
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カジュアル一騎
2008年02月11日 01:57 visibility68
BSでやってた映画「レイ (Ray) 」です。
レイ・チャールズの伝記的な部分にはあまり興味ないんですが
彼をメジャーにしたアトランティック・レコードの黎明期
伝説となったエピソードの数々は 実に興味深かったです。
アトランティックの創設者アーメット・アーティガンは
駐米トルコ大使の次男でした。
父親の影響で子供の頃から黒人音楽に興味を持ち
友人とアトランティック・レコードを立ち上げました。
1947年のことです。
当時 黒人音楽に黒人以外が携わるのは異例中の異例のこと
トルコ人の彼だからこそ出来たのかも。
一介のマイナー歌手だったレイ・チャールズと契約し
さて どうやって売り出したものか と思案。
抜群の才能があることは確かなのに
当時は先行するスター達のモノマネの域を脱していなかったため
独自の路線を提唱します。
天才レイ・チャールズにアーメット・アーティガンが自作の曲をプレゼント。
スタジオで歌って聞かせる つー伝説のメス・アラウンド・セッションです。
ナット・キングコールらのソフト路線に対抗するハード路線
で これが見事にハマる。
若い才能を見い出し 適切な指導で大きく開花させる
まぁ 業種は違えど音楽でもサッカーでも
プロデューサーとかコーチの役割は大事なことですよね。
メス・アラウンド・セッションにはジェリーも登場。
(友達みたいに言うなっつーの)
当時アトランティックに入社したてのジェリー・ウェクスラーです。
アーメット・アーティガンと共にアトランティックの屋台骨となった
名プロデューサーですね R&Bの生みの親。
そして ヤク中のため時間の感覚が曖昧になり
公演を早めに切り上げたところ興行主からクレームが付き
急遽 穴埋めのために即興で演奏した曲 "What'd I say"
(このシーンは鳥肌モノ この映画で唯一の)
これをリリースするために侃々諤々だったんですが
まず 長すぎるからシングルの片面に納まらない。
2番をカットすればいい とエンジニアのトム。
全部入れたいんだ とプロデューサーズ。
じゃあ A面B面にまたがって入れれば とトム。
こうしてレイ・チャールズ初のNo.1シングルは生まれたんですね。
この画期的な提案をしたトムこそ
後の大プロデューサー トム・ダウドでした。
トム・ダウド無くしてはクラプトンの「レイラ」も無かったし
デュアン・オールマンも一生スタジオ・ミュージシャン止まりだったか。
大きく育って注目されれば 次にやってくるのは移籍の話。
これもサッカー界と同様。
破格の条件で大手ABCに引き抜かれます。
弱小レーヴェル Swing Time からレイを引き抜いたアトランティック
その時のアーメット・アーティガンのセリフは
「大きい話が来たら そっちに乗れよ」でした。
その通りにしたいだけさ と告げるレイを笑って送り出すアーティガン
中々の人物 とお見受けしました。
そこはかとない悔恨が伴うものの
それがビジネス
みたいな
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