挑むのみ

この間の水戸戦を見返してみると、なにかずれる、こんはずではない、の連続だった。
そのズレは疲れから来る反応のズレ、相手を侮っていたことによる緩み、連勝とホームでの戦いという勝たなければならないというプレッシャーか、もしかしたら、来季契約の他チームからのオファーか、それらがすべてないはないと思うが、選手個々の中でなにかが影響していたと思う。


こういうときこそ自らの意義をしっかり見つめることが大事だと思う。
なぜ、ベガルタにいるのか、
なぜ、このポジションを任されているのか、
そもそもなぜサッカーに関わる仕事しているのか、
なぜなぜと自分自身に問う、もしくは心許せる家族や友人、チームメイトと話し合う、そこに答えがあると思う。
本当に5400秒という限られた時間にその意義を表すことが出来ればいいと思う。


ボールを蹴るのが好きで、ちょっと周りの友達よりうまくて、もっとうまくなりたくてチームに入って、若年の大事な時間の多くを費やして、鍛錬、試合を重ね、そして、プロの練習に参加、スカウトに見出され、やっとプロの選手になった。


たった2行に圧縮されるほど、簡単なことではなく、同じように努力しただけではプロになれない。
多く出会いの中から声を掛けてもらい、親交を深め、他チームになって、いずれは一緒のチームで戦おうと話し合ってから幾年月の後、チームメイトとして再会した。
それぞれの想いに一つ一つのプレイにつながっていればいいと思う。
そして、意義を体現し、チームが一体となった時、はじめて、勝ちという結果になるのだと思う。
それが体現できない時は敗戦となってしまう。
勝ちという結果はほしい。
それは誰もが明確にするために一番の指標。
でも、その中に多くの人の想いが込められ、その報いとして表される。


いろいろな状況でその意義がプレイに出なかったかもしれない。
それは報われないということ。
次からも報われたいがために全力を尽くすしかないと思う。
意義を明確にしてもう一度、挑戦しなければ、報われない。
その想いをゴールという結果に表現してこそ、最高のプレイをしたと云えると思う。
本当の歓喜のためにチャレンジするしかない。


私の想いを込めたチームがベガルタである。
季節と共に歓喜を感じ、愛する仙台の地をサッカーと共に日々を重ねる。
より豊かで、健やかな生活を一家一族で過ごせることが一番の意義だと思っている。
自身もその意義を想い、次からの挑戦に参加したいと思う。
関わるみんなが報われることを思いながら。

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