2007年ヤマザキナビスコカップグループC 横浜FC-ジュビロ磐田 「胸を打つ」

  • おかき
    2007年03月26日 04:15 visibility133


奥が2点目を決めて、自陣に戻ってくる時、ユニフォームの
左胸にある横浜FCのエンブレムを叩いた。あのシーンを見て、
彼はやっと「横浜」の選手になったのだと確信した。


奥は今期横浜Fマリノスから移籍してきたのだが、
その移籍も円満なものではなく、戦力外通告をした後に
年俸提示額を下げて再契約を申し出るというマリノスの
フロントに憤怒し、マリノスに戻らない事を決めた。
その情報を察知し最初にオファーを出したのが同じ横浜を
拠点に活動する横浜FCだった。城、アレモン、アウグストという
昨年のチーム内得点王、アシスト王、そして主将という
大きな三人を失う事が見えていた横浜において
元日本代表というだけでなく、磐田でもマリノスでも様々な
試合で優勝経験がある奥は、戦力外になったのであれば
どうしても欲しい選手の一人だったに違いない。










その奥は開幕戦となった浦和戦から全ての試合でスタメンで
出場を続けている。サイドもセンターもこなすユーティリティさ、
簡単にボールを奪われない高い技術は、どんな戦術にも
順応できる、使い勝手のいい選手である。
ただ、時としてその使いやすさは、「存在感が薄い」「動いて
いない」等批判を受ける時があった。
大敗した川崎戦では特にそうだった。
でも、あの試合山口に代わってキャプテンをし、最初から
最後までサポーターへの挨拶を選手に促したのは彼だった。








城もそうだった様にこのチームに来る実績あるベテランの
中には不遜な態度をとったり、手を抜いてしまう選手もいる中、
あの姿を見て彼はマリノス時代の金髪長髪をその思い出の様に
ばっさりと切り落とし、新しい奥が見えつつあった。



さてこの試合、誰もが磐田の変調を感じ取る事ができただろう。
流れる様なパス回し、積極的なプレスは微塵にも感じられなかった。
山口と根占のボランチに完全に封じられてしまった。
この日の2人は、コンビネーションが冴えていた。大分戦と異なり
山口がアンカー、根占がアタックという役割分担ができていた
事もあり、ここで多くのパスを封殺できた。






磐田は林の1トップも機能しなかった。彼が試合後、「引いて
ボールを受けるな、サイドに流れるな」と指示がある事を
語った様にスピードやキレが持ち味の選手に、裏への飛び出し
だけをしかも1トップに求めるのは厳しい。
チームが迷い小路に足を踏み入れていた。




足を踏み出すといえば、横浜のFWは久保・三浦の欠場が理由の
急造の2トップとは言え速く強く前に進んでいた。
彼らが前線から積極的にボールに絡むから磐田はミスを
繰り返し、横浜がボールに触れる様になる。

試合序盤は磐田がいくつか持ち込むシーンもあったが、
そのリズムを掴める様になった後は、高木監督が、
「ウィークポイントはあるし、そこを我々の選手たち全員が
はっきりと意図を理解しつつ戦った」
と狙い通りの展開を披露。磐田・ファブリシオが怪我で交代する
不運もあったが、それを差し引いても磐田はサッカーに
なっていなかった。











後半頭からは怪我で鈴木秀人も退いた。ほぼ横浜が攻める展開は
変わらなかったが、変わったのスコアの均衡。
中盤で山口がカットしたボールを、根占が左サイドの滝澤にパス。
磐田・田中のタックルを交わしてクロス。
このボールにシウバが身体を投げ出して、横浜が先制する。




そしてこの直後のキックオフでは、田中のミスパスを奪った
難波が、右サイドでフリーになった奥に。奥は磐田GK・佐藤が
出てくるのを冷静に見て、フワリとボールを浮かせボールを
ゴールに流し込んだ。

この後は、横浜がしっかりと守りきり勝利をモノにした。




そして、奥が自分の左胸を打って「横浜」をアピールしたのと
同じ様に、磐田・中山の存在はそれと同じ価値がある。
負けていたら動こうともしない若手に活を入れるべく出場。
ゴールこそならなかったが、強烈なボレーを放ち、前線から
積極的にボールを追いまわり終盤磐田に流れが傾いた時間も
あった。カズばかりが注目されるが、彼も今年40歳を迎える。
「老兵は死なず」。泥臭くもただ我武者羅にゴールに向かうその姿が、
サッカーは技術や戦術だけではないという部分を見せた。
そう、そのプレーに自分の胸は強く打たれていたのである。







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